関東医療少年院
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関東医療少年院(かんとういりょうしょうねんいん)は、東京都府中市新町1丁目にあった法務省矯正局の東京矯正管区に属していた少年院で、2019年3月まで運用されていた。
2019年4月に東京都昭島市の国際法務総合センター内に東日本少年矯正医療・教育センターとして、相模原市中央区の神奈川医療少年院とともに統合され、閉所した。
所在地
概要
全国に2箇所しかない第三種少年院(旧称・医療少年院)のうちのひとつであった。定員は124名。医療法上の病院に該当する。
第3種少年院とは、少年審判によって「心身に著しい故障がある」と判断されたおおむね12歳以上26歳未満の者を収容し、治療と矯正教育を施す施設である。特に精神疾患のある未成年者を重点的に受け入れ、治療を行なっている。被収容者に対しては、平均して約1年間のプログラムが組まれ、専門医による治療と並行して、生活・職業指導といった教育が施される。治療が終わった被収容者は一般の少年院に移ることもある。
2017年(平成29年)の関東医療少年院の閉所により、単独の医療法の病院機能を持つ少年法の分類における第三種少年院に属する医療少年院は京都医療少年院(京都府)のみとなる。
沿革
- 1949年(昭和24年)- 矯正治療施設として開設。
- 1965年(昭和40年)- 施設を全面改装。
- 2017年(平成29年) - 昭島市の国際法務総合センターに東日本少年矯正医療・教育センターとして移転し閉所。
アクセス
脚注
関連項目
座標: 北緯35度41分20.4秒 東経139度29分8.3秒 / 北緯35.689000度 東経139.485639度
関東医療少年院(過去)
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「贖罪の奏鳴曲」の記事における「関東医療少年院(過去)」の解説
稲見 武雄(いなみ たけお) 園部信一郎(御子柴)の教育担当教官。左足が不自由。顔は深い皺と老人斑で埋められているが、強情そうな太い眉が印象的。残りが少なくなった短めの白髪。70代半ばを過ぎていると思われる。厳しいが見ているところはちゃんと見ていると院生達からは評価が高い。 26年経った現在は「伯楽園」という特別養護老人ホームに入所している。 嘘崎 雷也(うそざき らいや) 本名は磯崎来也(いそざきらいや)で、"嘘崎"はプリズン・ネーム。医療少年院で御子柴に最初に話しかけてきた関西弁の少年。御子柴と同じ背丈、ジャガイモのような頭、大根のような二の腕をしている。当時16歳で御子柴より2歳年上。優等生とはほど遠く、作業も真面目にせず、すぐ他の院生にちょっかいを出す。「儲かる職業で、一度資格をとったら敗訴を続けようが犯罪を犯そうがはく奪されず、定年も無い」という理由で弁護士を志望していた。 夏本 次郎(なつもと じろう) 身長180cm以上、肥満気味。左手が肩先から無く、口がきけない。性格はひどく臆病。雷也と一緒にいることが多い。考えていることがすぐ顔に出る。 柿里(かきざと) 雷也と次郎の担当教官。雷也と夏本を目の敵にし、暴言・体罰も日常茶飯事に行う。瓜実顔に三白眼。 島津 さゆり(しまづ さゆり) 身長140cmあるかないかの小柄な少女。短髪。医療少年院の年1回行われる合唱会で彼女が弾いたピアノ「ベートーヴェン・ピアノソナタ第23番ヘ短調〈熱情〉」に御子柴は魂を突き動かされるような感動を覚える。”島津さゆり”はプリズンネーム。 御前崎(おまえざき) 医療担当教官。さゆりの矯正に音楽教育が有効と考え、ピアノをプログラムに取り入れた。本作では名前のみ登場。
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