1953年の事故とは? わかりやすく解説

1953年の事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 16:22 UTC 版)

小勝多摩火工爆発事故」の記事における「1953年の事故」の解説

1953年昭和28年2月14日午前10時30分頃、東京都北多摩郡府中町貫井(現・府中市晴見)にある小勝多摩火工府中工場火薬配合室で、作業中に爆発発生配合室がバラバラ吹き飛んだ。この爆発により、3000坪の敷地内にあった他の火薬倉庫にも引火し大規模な爆発発生事務所薬品倉庫炊事場など火薬工場敷地内にあった合計14棟の全て吹き飛び火災発生した半径1キロ以内にある都営稔ヶ丘住宅関東医療少年院民家などで、窓ガラス割れる、屋根や壁が崩れる、雨戸落ちるなど被害広範囲及んだ工場作業していた24名のうち生存者は4名、一般市民1名が巻き添え死亡し犠牲者21名に及んだ。特に、火薬配合室などにいた従業員8名の遺体損傷酷く爆心から半径100メートル範囲バラバラ飛び散る惨状であった現場散らばった従業員衣服爆風半壊した工場管理人社宅 この工場作っていたのは、大砲射撃訓練に使う実弾出ない直径2インチ高さ1.5〜2インチの筒形の弾「擬砲弾」で、保安隊(現・自衛隊)の注文だったという。当時、この擬砲弾受注したばかりで、近所の主婦らを新規作業員として募集し生産始めたところで、擬砲弾火薬製造過程不慣れなまま大勢作業当たったのが事故の原因ではないか疑われた。しかし事故当時火薬配合室に居た全員爆死したため詳細分かっていない。

※この「1953年の事故」の解説は、「小勝多摩火工爆発事故」の解説の一部です。
「1953年の事故」を含む「小勝多摩火工爆発事故」の記事については、「小勝多摩火工爆発事故」の概要を参照ください。

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