長編成化と車体更新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/16 05:57 UTC 版)
「阪急900形電車」の記事における「長編成化と車体更新」の解説
1950年ごろの神戸線では3両編成での運行が主体であったが、乗客の増加に伴って徐々に4両編成の運行が増加してゆく。900形のみの4両編成で特急運行に充当されることもあったが、従来同様920系や登場間もない800系の大阪側に連結されて3両編成を組んで走ることも多かった。1951年から開始された600形の車体更新に際しては、従来600〜604が履いていた住友金属工業製鋳鋼台車のKS-33に換装されるとともに、モーターも台車ごとSE-151に換装され、2基搭載した。翌1952年の96の再電装に際してもL-17台車とSE-140モーター4基を供出して、代わりにKS-33台車とSE-151モーターに換装している。このような台車及びモーターの振替を実施した結果、900〜912の13両がKS-33台車を履き、SE-151モーターを2基搭載することとなった。 1953年4月のダイヤ改正で昼間時の特急が10分間隔に、特急全列車が4両編成運転となった。この時期の本形式は特急運用への充当機会が減少し、3両編成で走ることの多かった普通運用によく充当されたほか、今津線や伊丹線といった神戸線の支線区にも入線している。 909の事故修復を機会に、1954年から車体更新が施工されることとなった。ウインドシルが2段の帯から平帯となり、車体腰部のリベットがなくなった。前面貫通路には幌枠、屋根周りには雨樋が取り付けられた。909の屋根は全面ビニール張りとなり、戦災復旧車の905は屋根部分を除いてリベットレスとなった。併せて、900〜909の神戸側運転台が撤去されて片運転台化されている。更新工事は1958年までに完了したが、その途上で1200系製造に伴う主要機器振り替えにより、900〜914はKS-33台車とSE-151電動機(170kW×2)搭載となった。 更新終了の頃、900-913で弱界磁を通常の60%から40%に弱めての高速運転試験が実施されたほか、914を使用して地上パターン方式による自動列車停止装置の試験を行い高精度の結果が出るなど、技術開発にも活用された。 1959年11月から神戸線の特急・急行運用の一部が5両編成化されると、本形式は920系及び800系の2両編成を2組併結した4両編成の大阪側に連結されて、再び優等列車運用の先頭に立った。ただし、正面非貫通の805-855及び806-856の編成については両編成の背中合わせに連結された920系の中間に組み込まれて、2+1+2の5両編成を組成した。1961年 1月には宝塚線の5両編成運行の拡大に伴い、910以降の両運転台車グループのうち、917〜919の3両が920系4両編成×3本とともに宝塚線に転出し、翌1962年1月には915・916の2両が920系2両編成×2本と宝塚線に転出、増結用として使用された。本形式のこのときの連結位置は神戸線とは異なり、宝塚側に連結されている。この時の宝塚線運用は、宝塚線の6両編成運行が拡大したことから920系と引き換えに神戸線に転出することとなり、1962年12月に915〜917の3両が、1963年12月には残る918・919の2両が転出して、3年弱の短期で一旦終了することとなった。 また、この時期には900-910と901-911が半永久式密着連結器により固定編成となったほか、902-912と903-913はMc-Tcとなった。
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