連合の解消
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:54 UTC 版)
「スウェーデン=ノルウェー」の記事における「連合の解消」の解説
ノルウェーの議会は、連合についてのノルウェーでの不満の高まりを受けて、1905年6月7日に満場一致でその解消を宣言した。このノルウェーの一方的な行動はスウェーデンからの戦争の脅迫という問題に直面したが、8月13日の国民投票は368,208 対 184という賛成多数によって議会の決議を確認した。カールスタードで交渉が持たれ、9月23日にスウェーデンとの合意によって相互は総動員を停止した。両国の議会は10月16日には『連合法』を取り消し、スウェーデン国王オスカル2世は彼のノルウェー王座に対する主張を放棄した。10月26日にはノルウェーは独立した王国として承認された。 ノルウェー議会はデンマーク王フレデリク8世の次男カール王子に空位となったノルウェー王位への就任要請を議決をし、国民投票で王制が承認された後、カール王子はそれを受諾した。1905年11月25日、ノルウェーに移ったカール王子がホーコン7世として即位した。
※この「連合の解消」の解説は、「スウェーデン=ノルウェー」の解説の一部です。
「連合の解消」を含む「スウェーデン=ノルウェー」の記事については、「スウェーデン=ノルウェー」の概要を参照ください。
連合の解消
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:44 UTC 版)
「スウェーデン=ノルウェー」の記事における「連合の解消」の解説
5月23日、ストーティングはノルウェー独自の領事制度を設置するという政府の提案を可決する。これに対し、国王オスカル2世が再び政府を統制して、憲法に規定されている拒否権を行使すると、ノルウェーの内閣は総辞職を申し出た。国王は総辞職を認められない旨を告げたが、内閣は6月7日にストーティングに対して総辞職を申し出た。 ストーティングは、国王が内閣を形成できない場合には、その憲法上の権能は「効力を停止する」との決議を全会一致で採択し、内閣は、更なる指示のあるまで、国王に付与されている権限を代行するよう要請された。そして、オスカル2世は「ノルウェー王」としての務めを停止したのであるから、スウェーデンとの連合は解消される、と決議した。このような急展開に備えていなかったスウェーデンでは、ストーティングの行動は最大限の驚異と憤激をもって受け止められた。国王はストーティングの行動に厳粛に抗議するとともに、この6月7日のノルウェー人の「反乱」によって突然惹起された連合問題への対応策を諮るため、6月20日にリクスダーグの臨時会を招集した。 リクスダーグは、ストーティングが選挙の後に両国間の連合法の廃止を提案するか、ノルウェー国民が国民投票によって連合解消への支持を示した上でこうした提案がなされるならば、連合解消の条件に関する交渉には反対しないと宣言した。さらにリクスダーグは、準備のために1億スウェーデン・クローナが確保され、リクスダーグの決定に従って使用されるようにすべきであると決議した。Ramstedt内閣の総辞職により、ルンドベルクがリクスダーグの超党派による連立内閣を形成し、その後、8月3日にリクスダーグは休会となった。 8月13日にノルウェーで行われた国民投票の結果、368,392対184という多数の賛成で連合解消が決定された。ストーティングはスウェーデン政府に連合法廃止のための協力を要請し、両国代表の会議が8月31日にカールスタードで開始された。9月23日に両国代表は合意に達した。両国のこのような紛争は、直接的な外交交渉によって決着しえないが、双方の重大な利害に関わるものではなく、ハーグ常設仲裁裁判所に付託されるべきである、というのがその要点である。また、両国の南部国境の両側に約15kmの中立地帯を設定し、そのノルウェー側では8か月以内に要塞が撤去されると定められた。 また、別の条項では、サーミ人(ラップランド人)がどちらかの国に限ってトナカイを放牧する権利、鉄道その他の手段で国境を越えて物資を輸送する権利が認められ、交通を妨げるいかなる輸出入の禁止もなされないこととなった。 10月2日から10月19日まで、リクスダーグは再び臨時会が召集された。カールスタード会談における合意と、連合法を廃止しノルウェーを独立国として承認する政府の提案がともに承認された。また、スウェーデンの国旗の変更も決定し、連合の標識の部分が空色に置き換わった。 ストーティングはベルナドッテ家の王子をノルウェー王に選出すると打診したが、スウェーデン国王オスカル2世は既に自らと子孫がノルウェー王位を放棄すると宣言していたため、これを辞退した。連合解消問題に対応するためだけに組閣していたルンドベルクは辞職し、カール・スターヴを首班とする自由党内閣が後継となった。
※この「連合の解消」の解説は、「スウェーデン=ノルウェー」の解説の一部です。
「連合の解消」を含む「スウェーデン=ノルウェー」の記事については、「スウェーデン=ノルウェー」の概要を参照ください。
- 連合の解消のページへのリンク