連合の結成と組織分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:58 UTC 版)
「全日本自治団体労働組合」の記事における「連合の結成と組織分裂」の解説
連合の結成に至る一連の流れでは組織分裂を引き起こした。連合の結成をめざす勢力は、「民間先行による労働戦線統一の基本構想(のちの連合の綱領路線)」(1981年)で、「自由にして民主的な労働組合」の路線と「西側の一員」論の立場に立ち、国際自由労連(ICFTU)加盟、批判勢力(共産党など)の排除を求めた。この動きを日本共産党の影響力の強い自治労反主流派(全国大会レベルで、約4分の1の勢力を持っていた)は、「労使協調」路線など特定の運動路線を踏み絵に、これを容認する組合だけを結集する「労働戦線の右翼的再編」、「産業報国会化」であり、政府・財界主導による国民・労働者犠牲の臨調・行革攻撃を支持し推進する「反共・労使一体、体制擁護」の路線に屈服する「労働運動の右傾化」だと批判した。反主流派は、1989年3月に自治労を事実上離脱し、自治体労組全国連絡協議会(自治体連絡協)=後の日本自治体労働組合総連合(全労連・自治労連)を結成した。自治労本部は、自治体連絡協に参加した単組のうち脱退を通告してきた組織の脱退を承認、脱退通告のないまま連絡協に参加した単組を独自に「脱退と判断」して自治労から除外する事を明確にする一方、産別帰属が明確でない加盟単組を「特別組織対策単組」に指定し、権利・義務関係を凍結、期限までに明確な態度を示さない単組は自治労から脱退したとみなす(事実上の除名処分)と通告して自治労結集を迫るなど正面からの対決を選んだ。 結果、29都道府県で自治労連の県本部が結成され、反主流派が主導権を持っていた自治労の7府県の本部(岩手県、埼玉県、千葉県、静岡県、愛知県、京都府、愛媛県)は一時、本部による直接の代理執行が行われるなど、機能に支障をきたしたものの、1990年3月までに全府県本部の再建を終え、反主流派主導だった東京都職労で多数を制するなど、上々の成果を挙げたとの総括がされた。 また、「血を流してでも共産党と対決して連合に参加し、その主導権をとる」との決断を自治労執行部が行ったことが、その後の総評解散、総評系官公労の連合なだれ込みによる全的統一の実現を決定づけたとされる。ただし、連合はもともとIMF-JCの加盟単産が核となり、民間単産が先行して結成された経緯があるため、IMF-JCにも民間労組中心の同盟にも系譜を持たない自治労は、組合員数で連合の15%以上を占めている割には影響力は小さいと見る向きもある。
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