辰野金吾による駅舎設計とは? わかりやすく解説

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辰野金吾による駅舎設計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 21:03 UTC 版)

東京駅の歴史」の記事における「辰野金吾による駅舎設計」の解説

バルツァーの提案した日本風駅舎案は、ヨーロッパ崇拝時代にあった当時日本にあっては受け入れられるものではなかった。このため改め駅舎について設計が行われることになり、当時建築界の権威であった辰野金吾依頼されることになった辰野自身で、日本銀行本店中央停車場国会議事堂3つ手掛けることを目標としていたこともあり、辰野依頼するのは当然視されたためか、依頼の経緯についてははっきりしたことがわかっていない。1903年明治36年12月辰野設計依頼された。設計に際して辰野受けた注文は、バルツァー案では建物が5棟並べられていてみすぼらしいので、建物連続させて見栄え壮観なものにしてほしい、ということであったとされる結果的に辰野率い辰野葛西建築事務所による駅舎設計足掛け8年にも及ぶものとなった。 まず1904年明治37年早々に第1案の設計できあがってきた。中央皇室専用口を、両側乗車口降車口配する基本的な構造はバルツァー案と同一で、これらの出入口については3階建て、それらをつなぐ部分1階建て2階建ての構造であった。これは、通過式の配線駅構造対応するために全長300 m近いものとならざるを得ないのに、建築予算がわずか42万円提示されていたため、出入口の間は低い建物でつなぐものとせざるを得なかったためであった。この時点で既に両翼八角ドーム形態現れており、ほぼそのまま最終案にまで残っている。さらに辰野いくらか修正繰り返しながら設計進め、第2案が生み出された。規模は第1案とほぼ同じで屋根周り表情整えたものであった。しかし予算限界もあり、この段階ではこの程度の設計であったその後国有鉄道管轄していた鉄道作業局帝国鉄道庁鉄道院への改組などもあって設計作業遅延した。しかし日露戦争における日本勝利国民感情盛り上がったことや、1906年から1908年にかけて実施され鉄道国有化影響もあり、一挙に駅舎規模拡大することになったそれまで予算65万円見積もられていたのが一挙に250万円とし、総3階建て構造にする方針1907年明治40年)に報じられている。これに関して、「後藤の大風呂敷」と呼ばれる初代鉄道院総裁後藤新平意向とする説もあるが、しかし後藤鉄道院総裁就任した1908年明治41年12月時点では設計はほぼ完了して基礎工事開始されていたので、後藤意向以前駅舎規模の拡大決まってたとする見解もある。 こうして第3案では、両翼乗車口降車口を、中央皇室口を配する基本そのままに、これらをつなぐ中間の部分を総3階建て構造とし、これにより水平線通って建物まとまり感が生み出された。第3案では皇室口の上に小さな塔が残されていたが、この塔を撤去したものが最終案となって建設されることになった1910年明治43年12月中央停車場設計作業最終的に完了した設計され駅舎鉄骨煉瓦造のもので、荷重煉瓦壁面だけではなく鉄骨組んだ支え構造になっている煉瓦のみで建物強度確保していた時代には、壁は肉厚のものとなって内部面積狭くなり、窓や扉などの開口部面積制約受けていたが、東京駅では鉄骨強度を受け持つことによって壁を薄くでき、煉瓦建物としては大きな室内面積確保できている。また鉄筋コンクリート適用が始まる時代建物であり、それまで煉瓦造建物では内部の床に木材を使うことが多かったが、東京駅では防火構造鉄筋コンクリートスラブ床材使っており、こうした材料組み合わせによって大きなドーム備えた建物を可能としている。 この辰野金吾設計駅舎は、ペトルス・カイペルス(オランダ語版設計1889年完成したオランダアムステルダム中央駅参考にしたと言われることがある。しかし辰野オランダ訪れた記録はなく、またアムステルダム中央駅参考にしたと本人述べた記録もない。さらに建築的言えばアムステルダム中央駅垂直線強調したゴシック建築基本しながらルネサンス風を加味し設計であるのに対して東京駅は帯石により水平線強調したルネサンス建築という違いがあり、明らかに異なっている。当時のように鉄筋コンクリート技術発達していなかった時代には大規模な建物煉瓦積み石積み造るほかなく、またどちらの駅も通過式の配線前提にその線路の脇に駅舎配置することから、構成類似せざるを得ないとの解釈がある。またオランダゴシック・リヴァイヴァル建築は、辰野関わりのある歴史主義建築通底していることもあり、両者似た印象を持つことはある意味必然であると指摘されている。

※この「辰野金吾による駅舎設計」の解説は、「東京駅の歴史」の解説の一部です。
「辰野金吾による駅舎設計」を含む「東京駅の歴史」の記事については、「東京駅の歴史」の概要を参照ください。

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