辰鼓楼のなりたち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 06:54 UTC 版)
辰鼓楼の楼閣本体は1871年6月1日(明治4年4月14日)に完成し、辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣であった。旧藩医の蘭方医、池口忠恕が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをした。忠恕は回復後、病気中に出石の人々に多大な精神的支援を受けた感謝の意思を形にしたいとして、時計技師2名を招くとともにオランダ製の機械式大時計を取り寄せ寄贈した。これによって1881年(明治14年)より現在の姿の時計台となった。以後、弘道小学校では機械式時計の錘(おもり)を掛け替えるのが児童の大事な役割となった。現在は時計本体は入れ替えられている。 2017年(平成29年)5月から10月まで修復工事が行われた。この間、内部見学会なども開催された。
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