高田地震
(越後・越中地震 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 02:04 UTC 版)
高田地震(たかだじしん)とは、越後国高田藩を中心に被害をもたらした地震。主に1666年に発生した寛文高田地震と、1751年に発生した宝暦高田地震がある。本稿ではこれらに加え、高田平野付近を震央とする被害地震について記述する。西暦は1582年以前はユリウス暦、以降はグレゴリオ暦で示す。
注釈
- ^ a b c d e f 歴史地震の場合、文献に震央位置が記載されていても、それは断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。地震学的な震源は地震計が無ければ決まらない。石橋克彦(2014)『南海トラフ巨大地震』, p7-8.
- ^ a b c d 日本地震学会HPにある、「日本付近のおもな被害地震年代表」は『理科年表』を引用したものである。またその内容は少なくとも2001年版より古い版と同一の文章である。
- ^ 名立崩れが起きた当時の名立小泊村は、幕府直轄領であったため、ここには含まれない。
出典
- ^ a b c d e f g 宇佐美龍夫、石井寿、今村隆正、武村雅之、松浦律子『日本被害地震総覧 599-2012』東京大学出版会、2013年。ISBN 978-4-13-060759-9 。
- ^ 井口隆; 八木浩司 (2012). “空から見る日本の地すべり地形シリーズ-23- 越後南西部地震 (1502年) による真那板山の崩壊地形”. 日本地すべり学会誌 : 地すべり 49 (3): 146-148. doi:10.3313/jls.49.146 2018年7月10日閲覧。.
- ^ 萩原尊禮・藤田和夫・山本武夫・松田時彦・大長昭雄『古地震 -歴史資料と活断層からさぐる』東京大学出版会、1982年
- ^ a b c d 日本地震学会「日本付近のおもな被害地震年代表 17,18世紀(1601-1800)」
- ^ 矢田俊文; 卜部厚志 (2011). “1751年越後高田地震による被害分布と震源域の再検討”. 新潟大学大学院現代社会文化研究科プロジェクト「大域的文化システムの再構成に関する資料学的研究」 8: 1-23 2018年7月10日閲覧。.
- ^ a b 震度分布に基づく 1751年越後・越中の地震の断層モデルの評価 (PDF) 歴史地震 第24号(2009) 111-119頁
- ^ 白石一夫:宝暦高田地震・名立崩れから250年 地すべり 2001年 38巻 2号 p.152-156, doi:10.3313/jls1964.38.2_152
- ^ 国立天文台 編『理科年表 平成29年』丸善、2016年。ISBN 978-4-621-30095-4 。
- ^ 加納 靖之 (2016). “弘化四年(1847年)越後高田の地震における年月日の取り違え”. 地震 第2輯 69: 41-47. doi:10.4294/zisin.69.41 2018年7月10日閲覧。.
固有名詞の分類
- 高田地震のページへのリンク