越前松平氏臣 大六系小栗氏とは? わかりやすく解説

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越前松平氏臣 大六系小栗氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 01:17 UTC 版)

常陸小栗氏」の記事における「越前松平氏臣 大六系小栗氏」の解説

三河小栗氏庶子家小栗助重四世孫・五左衛門徳川家康仕えその子大六重国は、結城秀康傅役となって豊臣秀吉養子となった秀康に付属するその子備後守重勝は当初江戸で徳川秀忠仕えていたが、父が結城死去した後に子・吉正重五郎左衛門正高とともに秀康に出仕する。 『結城秀康給帳』によると、 小栗備後守 4,250石(内、与力知行1,250石) 小栗市正 1,000小栗忠八 1,000小栗吉六 500小栗木工左衛門 300石 と記され、また『源忠直公御家中給帳』には、 小栗備後守 15,050石(内、与力知行3,000小栗市正 1,000小栗忠八 1,000小栗五郎左衛門 500小栗左衛門 300石 とあり、小栗一族越前松平家家臣団中核担っていたという。 重勝・正高父子松平忠直改易後福井藩致仕し、忠直の子息である松平光長高田立藩際し高田藩出仕し、重勝は高田城代を務める。1万7千石知行し正高寛文高田地震圧死した後は、その子美作守正矩が藩の執政務めたが、越後騒動で子・大六長治掃部助とともに切腹し、ついに大六小栗氏断絶した

※この「越前松平氏臣 大六系小栗氏」の解説は、「常陸小栗氏」の解説の一部です。
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