越前移封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 00:07 UTC 版)
関ヶ原の戦いの後に秀康は越前国に移封されて慶長9年(1604年)には名字を松平に改めることになる。結城家の家督は秀康の五男・結城直基が継ぐことになる。越前移封は当時健在であった先代晴朝にとっては先祖の地である結城の地を失うという点から不本意であり、越前移住後も結城地方の惣社とされていた高椅神社に結城帰還を祈願したり、『結城家譜』『結城家之記』といった家記を編纂(へんさん)したりするなど、結城氏存続と結城復帰への強い執念をみせている(なお、晴朝編纂の家記には秀康の公卿補任までしか記されず、晴朝が忌んだ越前移封には触れられていない)。 しかし、直基も晴朝の没後に松平を名乗り(前橋松平家)、大名の家名としては下総結城家の家名は消えた。なお、家名は松平家となったが、下総結城氏の祭祀(さいし)は代々の前橋松平家当主が継承している。
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