越前編とは? わかりやすく解説

越前編(第18回 - 第27回)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:02 UTC 版)

麒麟がくる」の記事における「越前編(第18回 - 第27回)」の解説

越前での光秀らは義景の援助受けず細々と暮らすこととなる。父・信秀死後信長守護代織田彦五郎や弟・織田信勝らとの争いに勝ち尾張平定しつつあったが、永禄3年1560年)に今川義元率い大軍駿河から迫り窮地追い込まれる光秀はかつて尾張出会った松平元康(のちの徳川家康)を織田方に引き込もうとするが、元康今川家からの離反拒む。しかし、元康進軍遅滞させたことにより今川軍本隊手薄となり、桶狭間の戦い信長義元討ち取ることに成功する凱旋する信長のもとに現れ光秀これから先のことを聞くと、信長美濃征服する事のみを語り笑み浮かべた一方、京では孤立無援となった義輝憔悴し、光秀信長上洛させることでこれを打開しようとする。しかし光秀奔走虚しく永禄7年1564年)に義輝三好家の手によって暗殺されることとなる。三好家関白近衛前久圧力をかけ次期将軍擁立しようとする中、義景は光秀義輝の弟・覚慶将軍となるかどうか確認させた。大和弱々しい覚慶見た光秀は、義景には将軍の器ではないと報告する一方で美濃攻略した信長だったが、今後目標をいかにする迷っていた。光秀将軍担いで京に上洛し、室町幕府再興することで「大きな国」を実現させることを勧める越前逃れた覚慶還俗して足利義昭名乗り上洛のため光秀に義景の説得依頼する貧し人々を救うための情熱知った光秀は、義景に義昭とともに上洛するように進言する一時はその気になった義景だが、いとこ・朝倉景鏡重臣らに上洛反対されたことで決断下せずにいた。早期の上洛を求め義昭側近・三淵と朝倉家家老山崎吉家らの利害一致し、義景の嫡子毒殺される。これにより義景は放心状態に陥り、その隙に光秀義昭らは美濃移って信長のもとでの上洛を果たす。

※この「越前編(第18回 - 第27回)」の解説は、「麒麟がくる」の解説の一部です。
「越前編(第18回 - 第27回)」を含む「麒麟がくる」の記事については、「麒麟がくる」の概要を参照ください。

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