越前電気の開業
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1899年(明治32年)5月、福井県最初の電気事業者として福井市にて京都電灯福井支社が開業した。福井県内においては、日露戦争前の段階では同社1社が開業したの過ぎなかったが、戦後の1908年(明治41年)から1911年(明治44年)にかけて敦賀電灯・越前電気・三国電灯の3社が相次いで開業した。 敦賀の敦賀電灯に続いて開業した越前電気株式会社は、1908年2月20日、今立郡鯖江町(現・鯖江市)に設立された。神戸財界主導で設立された敦賀電灯と異なり越前電気は地元資本の会社で、社長には鯖江の福島文右衛門が就いていた。資本金は15万円。電源は出力250キロワットの水力発電所で、今立郡上池田村(現・池田町)持越にて九頭竜川水系足羽川に建設。1909年(明治42年)8月19日に開業し、年末までに鯖江町・南条郡武生町(現・越前市)とその周辺の村へと配電を始めた。 越前電気では、開業後需要が順調に拡大したことから持越発電所の増設工事に着手したが、工事中の1914年(大正3年)1月に失火で既設水車・発電機を焼失してしまった。増設設備が完成して2月には復旧するが、結局設備の交換という形になり発電力増強ができなかった。この対策として翌1915年(大正4年)、鯖江に蒸気タービンを備える渇水期補給用火力発電所(出力200キロワット)を建設している。同年11月、御大典記念と銘打って料金の引き下げならびに金属線電球(発光部分=フィラメントに炭素線はなく金属線を用いる白熱電球)への全面切り替えを実施。大戦景気で物価が高騰する最中であったことから電灯需要の急増につながった。 さらに1916年(大正5年)7月、持越発電所の再増設完成による発電力引き上げが完成すると、今度は電力供給が急増した。短期間での電灯・電力供給の増加により発電力増強の効果は打ち消され、1917年(大正6年)後半には電力供給の新規申込み受付を中止せざるを得なくなる。1919年(大正8年)12月になり、九頭竜川に大型発電所を建設した北陸電化から1,000キロワットの受電を開始するものの、1920年(大正9年)2月には再び需給が逼迫する状態となった。なお北陸電化からの受電開始に伴って採算が悪化していた鯖江火力発電所は廃止された。
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