賀茂神主経久記とは? わかりやすく解説

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賀茂神主経久記

主名称: 賀茂神主経久記
指定番号 184
枝番 00
指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 6帖
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  『賀茂神主経久記』は、賀茂別雷神社神主であった経久の自筆原本の六帖からなり漢字仮名交じり文書かれている
 経久は氏久男として建長四年(一二五二)に生まれ弘安九年(一二八六)に権祢宜正応五年(一二九二)に祢宜永仁元年一二九三)に兄久世譲り受けて神主となり、以後延慶元年一三〇八)に辞するまでその地位にあった井関神主号し西賀茂正伝寺開祖とされている。また『新後和歌撰集』『玉葉和歌集』などに入集した歌人でもある。
 『乾元年日記』は、原表紙から第一七丁目まで正安四年(一三〇二)の仮名暦翻したものに白紙料紙重ね合わせ書いている。記事正月一日条から一二某日条の貴布禰御幸までである。その内容神事や行事、賀茂社周辺動静などが中心であるが、院の御幸迎え神社側の詳細な記録など、他にみられない記事多く含んでいる。
 『嘉元三年御遷宮日記』は、嘉元三年一三〇五)に行われた仮殿造営から正遷宮に至る記録で、材木調達から儀式次第に至るまで詳細に記述する正治建保文永などの先例に関する記述から、造営長く古式則って行われてきたものであること、当時社司氏人組織役割賀茂社庄園対す賦課あり方などが知られる
 『嘉元四年摂社遷宮記』は、嘉元四年に行われた賀茂社摂社である太田社、奈良社、片岡社の遷宮についての記録である。
 『御遷宮色々の事目安』は、嘉元三年行われた遷宮の際に用いられ装束諸道具に関する詳細な記録である。
 『賀茂社嘉元年中行事』は、賀茂社年中行事について記録したのである例えば、三月三日神事では草餅七月七日には氷などが供され五月五日神事では競馬九月九日神事では相撲が行われていることを記している。
 『賀茂旧記』は、建久四年(一一九三)四月から文永十一年(一二七四八月に至る。内容賀茂社周辺動静記した年代記である。とくに、承久の乱に関する記事は、「六月八日、ゐんせんとて、神主能久二てうのかわらのゐんの御所へまいれと、社司氏人もよをさる、まいらさらん物は社司解官氏人ところをついはうすへしともよをさる」「七月廿七日神主能久、下祢宜助綱六はらにめしこめらる、同廿八日解官せられぬ」というように、乱の勃発から賀茂神主交代という乱後後始末までの生々しい記録がある。また、文永九年(一二七二)二月一五日条には二月騒動に関して六波羅鎌倉記事記述する
 『賀茂神主経久記』六帖は「座田書屋」の方印が捺されていることなどから、いずれも田家旧蔵本であることが知られる残存する日記記録類少な鎌倉時代後期にあって当時の社会経済信仰どの様子を知るうえにきわめて貴重な原本である。



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