赤間神宮文書
主名称: | 赤間神宮文書 |
指定番号: | 18 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1976.06.05(昭和51.06.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 10巻、1冊 |
時代区分: | 鎌倉~江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本文書は明治維新後、阿弥陀寺の遺跡を相承して新置された赤間神宮に伝来した旧阿弥陀寺文書で、鎌倉時代から江戸時代に至る六十六点を存する。中心を占める鎌倉時代の文書は阿弥陀寺免田不断念仏料田十二町に関するもので中世国衙文書のまとまった遺品として珍しい。また中世赤間関に関する文書も含まれて注目される。この他阿弥陀寺絵図は室町のものであるが、鎌倉後期に再建された同寺の姿を描いたものといわれ、往時の規模をよく伝えて興味深い。 |
赤間神宮文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 04:19 UTC 版)
![]() | この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 |
赤間神宮文書(あかまじんぐうもんじょ)は、山口県下関市の赤間神宮の祀官を務めた大司家に伝わる古文書65通と帳簿(田地坪付并土貢帳)1冊。現在は全10巻に成巻されている。重要文化財。
概要
1233年(天福元年)の国司庁宣を初めとして、江戸時代の長州藩関連の文書などを所収する。また、長州藩では藩内の寺社から『寺社由来』と呼ばれる資料を提出させ、赤間神宮(当時は阿弥陀寺)からも1739年(元文4年)・1807年(文化4年)・1821年(文政4年)に提出を受けているが、3つの『寺社由来』に記された所収文書と現在の文書の内容は、第二次世界大戦の空襲で失われた5通(写真版が現存)以外はほぼ合致している。また、『寺社由来』作成以前に赤間神宮から外部に流出した古文書(特に大内氏時代)の存在も知られているが、それらは赤間神宮文書には含まれていない。1990年(平成2年)に刊行が行われ、その内容が広く知られるようになった。
参考文献
![]() | この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 |
- 今江広道「赤間神宮文書」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
- 赤間神宮文書のページへのリンク