論争の国際化
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1990年代にはジョン・ラーベの日記の邦訳『南京の真実』などをはじめとする多くの資料集が編集・発行された。ラーベ日記を保管していた遺族に働きかけたのは、中国系アメリカ人の反日組織紀念南京大屠殺受難同胞聯合会であり、彼らはアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』などの著作についての論争も仕掛け、日本の戦争犯罪を追求しはじめた。当時まだ無名の29歳であったチャンによる『ザ・レイプ・オブ・南京』では日本軍によって2万人から8万人の中国人女性が強姦され、さらに多くの日本軍兵士が「女性の内蔵を抜き出したり、胸を切り裂いたり、生きたまま壁にくぎづけにしたりした。家族の見ている前で父親に娘を強姦させ、息子には母親を強姦させた。生き埋めにしたり、去勢したり、臓器を切り刻んだりしたばかりか、鉄の鉤を舌に刺してつるし上げたり、腰まで地中に埋めた中国人をドイツ・シェパードが噛みちぎるのを眺めたり、極悪非道な拷問を行った」ことこそが歴史の真実であり、こうした真実を日本は隠蔽し、また欧米も無知のままでいると主張した。また日本の虐殺否定説は「セカンドレイプ」であるとした。 ニューズウィークはじめ米各紙が同書を大々的に取り上げ絶賛し、十週にわたってニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに載るほどの反響を呼んだ。当初、中国政府は公式にはこの運動への関わりを表明しなかったため、事件は政治色の薄い人道問題とみなされた。 しかし、研究者からラーベ日記には「民間人の犠牲者10万人は多すぎで、5万から6万」と記録しており、犠牲者30万説を支持する大虐殺派とまぼろし派の双方を当惑させた。笠原十九司がラーベの「5万から6万」は南京郊外を考慮にいれていないと97年12月のシンポジウムで述べると、中国側の孫宅巍は「30万は南京城内だけの数字」と反論し、この頃から中国は日本の親中派に配慮せず、30万の「公定数字」には一切の妥協を許さなくなっていった。ドイツの雑誌シュピーゲルは中国が30万という数字を握りしめて離さないのは、文化大革命での大量虐殺から目をそらせるためであると評した。スタンフォード大学のデビッド・M・ケネディは南京虐殺をナチスによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)と同一視する根拠をチャンは提示できていないと批判した。 また、アイリス・チャンの著作についてカリフォルニア大学のJ.フォーゲルは近代日中関係史の研究者にとっては「耐え難いほどのまがいもの」であり、チャンの著作を称賛したシェル教授を批判し、また中国系アメリカ人のアイデンティティ・ポリティックスは「比較犠牲者学」のアプローチを採用していると酷評した。また虐殺派の吉田裕でさえもチャンの本は事実誤認があまりに多いとした。江崎道朗はチャンの本は「日本憎しの感情が先行した記述」であり、学問的検証は二の次にされているばかりか、写真の大半は出所が疑わしく、日本非難という政治目的のための宣伝本という性格が濃厚であると評した。 こうして論争は国際的なものになっていき、その一方で日本の大虐殺派と中国政府の公式見解に対立が見られるようになった。
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