論争の発端についてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 論争の発端についての意味・解説 

論争の発端について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 03:37 UTC 版)

三一権実諍論」の記事における「論争の発端について」の解説

論争発端となったのは徳一著した仏性抄』であるとされる。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者論争始まった。 ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく東国活動していた道忠生没年不明)とその教団であったとする説がある。道忠最澄入唐前の延暦16年以降あらゆる経典写経行った際、東国からはるばる駆けつけ2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄盟友存在であった道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇設けられ下野薬師寺との関連東国住し広く弟子を持つ僧侶であった最澄東国下った際には、すでに道忠没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧794年 - 868年)らは、もともと道忠弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄入門したなど、道忠初期天台教団の中で、非常に重要な役割果たしていた存在であった筑波山開山し、会津拠点とした徳一標的としたのは、むしろ地理的に東国において布教行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄知らせたのも道忠教団であったと見られるが、異論もある。

※この「論争の発端について」の解説は、「三一権実諍論」の解説の一部です。
「論争の発端について」を含む「三一権実諍論」の記事については、「三一権実諍論」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「論争の発端について」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「論争の発端について」の関連用語

論争の発端についてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



論争の発端についてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三一権実諍論 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS