論争の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:02 UTC 版)
「ミサイル・ギャップ論争」の記事における「論争の終わり」の解説
この時期にアメリカの偵察衛星がついにソ連国内の細部の撮影に成功し、ソ連の持つICBMが僅かであることが判明した。アメリカがソ連を質量とも大きく引き離していたことが明らかになったものの、アイゼンハワー政権は下手にソ連を刺激したくなかったこと、国内に軍事費削減の圧力の可能性があったことから自国の優位を誇示することはしなかった。 しかしこのミサイル・ギャップが虚構であることが、ケネディ大統領就任後の1961年2月にケネディ政権で国防長官に就任したばかりのマクナマラ国防長官がミサイル・ギャップを否定したことですぐに明らかになった。これはより以前の1月6日にフルシチョフ首相が「アメリカに対するミサイルの優越性が拡大しつつある」という発言を行ったことに対して、マクナマラが同日の国防省の記者会見で「愚かなこと」と一蹴して「両国はほぼ同数のミサイルを配備している」と述べ、こけおどしだと公然と言ってのけたことによるものであった。 フルシチョフがアメリカでのミサイル・ギャップ論争を逆手に取った発言とも考えられるが、実際はミサイルの弾頭の数では当時ソ連が約300とされるに対してアメリカは約6000の弾頭を保有していた。ケネディ大統領はこの時点ですでに実態について認識していたが、すぐにマクナマラ発言を取り消す声明を出した。だが結局マクナマラとラスク国務長官及びマクジョージ・バンディ国家安全保障担当特別補佐官との協議を経て、同年10月にギルパトリック国防次官が、アメリカはソ連に対して核戦力で優位にあるとの声明を出して、このミサイル・ギャップ論争に終止符を打った。
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