評判・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 17:41 UTC 版)
「市川團十郎 (11代目)」の記事における「評判・芸風」の解説
戦後歌舞伎の華として知られる十一代目團十郎だが、実は戦前の評判は決して良くなく、「ダイコ」と評されることも多かった。特に戦前の彼は性格的に内気ながら、なおかつ癇癪持ちという扱いにくい青年役者であり、御曹司としての高い矜持に、なかなか芸が追いつかない観があった。それ以上に、所属していた東宝劇団自体も低調で、父・七代目幸四郎の甥にあたる秦豊吉は、その頃の彼を次のように回想する。 市川海老蔵が高麗蔵時代に、東宝劇団にいた頃、私も東宝にいたが、あまりあの劇団の誰も彼も意気消沈なので、日劇の前の路上で、高麗蔵に会い、勧進帳をやってみたらどうかと勧めた。同君は寝耳に水という顔付でびっくりしたが、あの頃勧進帳をやる勇気があったら、もっと早く世に出ていただろうが、父親が許さなかっただろうと思いなかなか世の中はむずかしいものだと思った。 — 秦豊吉、『演劇グラフ』創刊号、アルス、91ページ しかし、戦後間もない1946年(昭和21年)、『助六由縁江戸桜』で初めて助六を演じて大評判を取った時期から、周囲も驚くほどに役者っぷりが良くなり、人気が急上昇した。築地の魚市場や寿司屋、天ぷら屋では海老が売れなくなり、「海老さまに悪いから」と海老蔵贔屓の女性客が軒並み「海老断ち」する現象が起きた。このような話を新聞が競って記事にするくらい「海老さま」の人気は戦後の歌舞伎界で空前絶後の出来事だった。また、歌舞伎座売店では全体の3分の1から半分の、明治座売店は5割から6割の売り上げが海老蔵にちなんだ土産物で、歌舞伎座前にあったブロマイドを取り扱う店では、他の役者のブロマイドが10日で売りつくされるとすると、海老蔵のそれは3日で売り切れ、購入者の99パーセントが20代女性だと伝えられているほどであった。 ファンの声や七代目尾上梅幸は、海老蔵に十五代目羽左衛門の夢を追う人が多いと評していた。一方、七代目大谷友右衛門(四代目中村雀右衛門)は十五代目羽左衛門に似ているいう声を踏まえつつ「先人の作り上げた巨大な壁を突き破って、先人とは別ないい役者であるといえるでしょう」と評している。ファンや役者仲間以外でも、例えば劇評家界隈では安藤鶴夫、戸板康二なども押しなべて高評価を与え、関西歌舞伎を率いていた武智鉄二は「海老蔵をぼくが酷評するであろうという期待されているかも知れないが、実はぼくは金太郎時代から海老蔵のファン」と前置きし、技術的な欠陥があるものの、そこをむしろ美に変化させる魅力を持つ役者として、少し遅れて「扇雀ブーム」を巻き起こす二代目中村扇雀と並び評価している。 芸風は二枚目の立役で、歴代團十郎のなかでは八代目と似ていた。家の芸の歌舞伎十八番でも、柔らか味のある『助六』『毛抜』『鳴神」を好んで演じたが、荒事の『暫』『矢の根』や、陰影のある『景清』などは演じなかった。しかし團十郎襲名後は『勧進帳』の弁慶を果敢に演じるなど、自身のイメージとは対照的な役柄にも挑むようになった。
※この「評判・芸風」の解説は、「市川團十郎 (11代目)」の解説の一部です。
「評判・芸風」を含む「市川團十郎 (11代目)」の記事については、「市川團十郎 (11代目)」の概要を参照ください。
- 評判・芸風のページへのリンク