観測強化と前兆報告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 21:05 UTC 版)
まず背景として、地震活動などを根拠に遼寧省南部の地震監視体制が強化されていたことが挙げられる。1960年頃より、1966年邢台地震や1969年渤海地震などの被害地震を含め、河北省から遼寧省にかけての地域で地震活動が活発化していた。活動を監視していた当局は、地震活動が北東方向に移動していく傾向があったことなどから、1970年に遼寧省南部の監視体制を強化し、遼寧省政府に地震弁公室(後の遼寧省地震局)を設置した。 この体制下、数か月前という早期から複数の種類の前兆が出現し、それが予知へとつながった。1974年、地殻変動や地震活動、地磁気の異常などをもとに国家地震局は「渤海北部地区でかなり大きな地震が1-2年以内に起こる可能性がある」として、耐震化の方法や防災の心得、前兆の解説など地震防災教育を強化している。同年11月、国家地震局は大連市の金州断層で測量や地震活動、地磁気などの前兆が活発化している事を確認する。これを受けて12月20日、遼寧省革命委員会は市民に地震の可能性が高まっている旨を初めて市民に公表する。このころから、冬眠中のヘビが巣穴から出てきて凍死したり、大群で現れたネズミが人を警戒せず手で捕まえられるほどだったりと、宏観異常現象が多数報告されるようになる。年末には、いくつかの地域で"臨震警報"(地震発生数日前の直前予報)が出された。12月28日には盤山県内で臨震警報が出され2-3万人が屋外のテントに避難し3日間過ごしたものの、地震は発生しなかった。 翌1975年1月中旬、国家地震局は、営口から金州にかけての地域を震源地域とし、1975年前半にM6クラスの地震の発生が想定されることを確認した。これを受けて、ダム・鉄道・電力などのインフラストラクチャーの安全対策が強化され、鉱山や工場、人口密集地など一部で防災訓練も行われた。2月1日には、営口県と海城県の県境付近で微小地震が発生し始める(後に直接的な前震の開始であることが分かる)。2月2日には、盤綿市で家畜のブタがお互いにしっぽを噛んだり餌を食べなくなったり、垣根や塀をよじ登ったりする現象や、地電位の異常があったことが報告される。2月3日には、微小地震が1時間に20回程度に急増し、地電位がパルス状変化を起こしてしばしば観測不能になる現象や、営口県で家畜のウシがけんかして地面を掻くなどの現象があったことが報告される。 前震をはじめとした前兆の顕著な変化を受けて、日付が変わった翌2月4日0時30分頃、遼寧省地震弁公室は同省革命委員会に、微小地震の後に大きな地震が発生する可能性がある旨を報告、革命委員会はその日の朝10時に遼寧省全域に臨震警報を発表する。これを受けて各地区では、屋外の広場にテントを設営して住民の避難を促すなど緊急措置を実施する。この間にも顕著な前兆がいくつか報告されている。丁家溝という町では、手押しポンプ式井戸の水が8時頃から勝手に溢れ出し、次第に勢いを増して正午ごろには噴き上げる水の高さが1mに達した後、午後は濁ったままの状態が続いた。この町では午後にアヒルが驚いて跳び上がったという報告もある。革安山という町では梅花シカが驚いて小屋の中で跳び上がり、走り出して押し合いながら逃走したという。1日から続いていた微小地震活動は、午前中にM4.7およびM4.2という大きめの地震を記録した後急激に減少し、午後には静穏化してしまった。
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