薬莢材質による種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 07:37 UTC 版)
詳細は「実包」、「紙製薬莢」、および「樹脂製薬莢実包(英語版)」を参照 真鍮薬莢(黄銅薬莢、真鍮ケース) 無煙火薬登場以前によく使用された形式。小銃や拳銃と同じく、薬莢全体が真鍮でできており、黒色火薬、羊毛やフェルト・厚紙製のワッズ(「送り」とも呼ばれた)、散弾をハンドロードして使用する。材質の特性上、口巻き(クリンプ)は行わず、散弾は紙ふたと蝋止めにて押さえることが多い。 日本においては村田式散弾銃の専用薬莢として、11mm村田小銃弾をベースにした30番薬莢が製造され、その後12番や20番などの散弾銃用規格も順次製造されていった。旧JIS規格においては、後述の紙薬莢とは各部の寸法が異なり、同じ番径でも両者に互換性はない。 発射圧の高いライフル薬莢や材質の弱い紙薬莢と異なり、丁寧に扱えば半永久的に使用し続けることも可能であったが、近年では黒色火薬銃の老朽化と需要の減少により、日本・欧米共に使用の機会は激減している。現在では国内メーカーでこの薬莢を製造しているメーカーは皆無であるが、海外では12番や20番などのごく一般的なものについてはプレス製薬莢が、ブラジルのコンパニア・ブラジレイラ・デ・カルトゥショス(英語版)(CBC)社が展開するMagtechブランドで市場供給が継続されている為、経済産業省の個人輸入申請を行う事で現在でも入手する事が可能である。 紙薬莢(紙ケース) 無煙火薬登場後に使用が始まった形式。ロンデルと呼ばれる雷管とリム周辺の部分のみが金属(真鍮、若しくは軟鉄の真鍮めっき)で、散弾が収められる部分は厚紙でできている。黒色火薬または無煙火薬、羊毛やフェルト製のワッズ、散弾をハンドロードして使用する。柔らかい材質のため、口巻きはロールクリンプと紙ふたを併用することがほとんどで、発射圧により変形しやすいため、多くとも数回程度の再使用が限界であった。 日本においては1886年(明治19年)に輸入銃専用薬莢の「エレー規格紙薬莢(当初は装填紙薬筒と呼ばれた)」として紹介され、1916年(大正5年)に豊島洲吉や飯島魁らの要請により帝国陸軍造兵廠により初の国内製造が行われるが、この時に製作された陸軍造兵廠の紙薬莢製造機材は1919年(大正8年)に民間払い下げの形で放出され、この製造機材を元にして帝国薬莢株式会社(TYK)が設立された。1923年(大正12年)になると、日本化薬・中外火工・帝国薬莢の三社が合同で紙薬莢を用いた既製装弾の製造に踏み切り、この国産初の装弾を「桜装弾」として販売したが、当時の狩猟家のほとんどは真鍮薬莢に黒色火薬を用いており、日中戦争の勃発後は猟銃の新規製造が禁止されたこともあり、あまり広くは普及しなかった。 戦後、日本国内では終戦直後より日邦工業がハンドロード用紙薬莢の販売を開始、1960年(昭和35年)には旭精機が紙薬莢を用いた工場生産装弾の量産を開始したことが契機となり一挙に普及した。旧JIS規格においては、真鍮薬莢と共に「紙薬莢」として規格化が成されている。 後年になって工場装弾ではスタークリンプのものも登場したが、現在ではプラスチックケースの普及によって、工場装弾でも紙薬莢を用いる装弾メーカーはごく少数となっている。 プラスチックケース 工場生産装弾登場後に使用が始まった形式。基本構造は紙薬莢とほぼ同一であるが、散弾が収められる部分がプラスチック製なのが特徴。無煙火薬、プラスチック一体成型のカップワッズ、散弾をロードして使用する。口巻きは従来のロールクリンプの他にスタークリンプが使用できるようになったのが特徴で、工場における生産性が一挙に向上したことから、現在の装弾の主流となっている。日本においては1968年(昭和43年)前後より旭精機、日邦工業、旭SKBなどの国内装弾メーカーが海外企業とも提携し、相次いでプラスチックケースを用いた工場生産装弾の生産を開始したことで紙薬莢からの転換が進んだ。 規格上は紙薬莢と同じサイズのため両者には互換性があるが、戦前の紙薬莢規格の古い銃(ダマスカス銃身の銃など)で使用する場合には黒色火薬への詰め直しを行う必要がある。
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