英雄・五ツ嶋に憧れて入門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 英雄・五ツ嶋に憧れて入門の意味・解説 

英雄・五ツ嶋に憧れて入門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:14 UTC 版)

佐田の山晋松」の記事における「英雄・五ツ嶋に憧れて入門」の解説

1938年2月18日長崎県南松浦郡有川町(現:長崎県南松浦郡新上五島町)で船大工を営む家に生まれる。子どもの頃から材木運んだり、カンナかけたりして体を作っていた。幼少期大の相撲好きだった父親から、郷土英雄とされている五ツ嶋奈良男の話を聞かされ土地相撲に連れて行かれる内に相撲憧れ抱き角界入り希望する母親からは猛反対された。長崎県立上五島高等学校進学後は相撲部所属し3年生長崎県大会参加勧誘され一度辞退したものの、強引な説得根負けし補欠選手として出場するが、いざ対戦してみるとほとんど負けなかったことから自信付き角界入り強くむようになった。1955年ある日栃錦清隆千代の山雅信一行地元五島巡業に来た際に、高校教諭から千賀ノ浦紹介されたが、郷土英雄である五ツ嶋への憧れ強かったことから出羽海部屋入門翌日からは洗面道具下着だけを持参してそのまま巡業参加したが、高校卒業証書教諭計らいでようやくもらえた。 1956年1月場所初土俵を踏むと、稽古では部屋のすぐ前に立っていた電鉄砲代わりとして打ちこむなど努力重ねた。後に佐田の山は「この、現在はコンクリート製ですが、私が若い頃木製でした。部屋での稽古終わった後、この電信柱向かって何度も何度もテッポウ繰り返しました。この電信柱が私の基礎作った思っています」と振り返っている[リンク切れ]。各段優勝こそないものの負け越すことなく1960年3月場所新十両昇進1961年1月場所新入幕果たした新入幕の場所では10勝5敗の好成績挙げ同年3月場所では前頭4目まで躍進するが、場所前の稽古右足首を捻挫する稽古熱心さから「『横綱大関ってどんなだろう』と内心ワクワクしていた」というが、出羽海からは「まだ若いから無理するな。それより足首をしっかり治せ慢性になるとまずいぞ」と言われ全休する。これによって一度番付下げるが、休場中に体重急激に増加して力を増すようになった同年5月場所では12勝3敗の好成績で、三役経験の無い力士による幕内最高優勝果たしたが、成績さることながら対戦した三役力士富士錦猛光のみ、しかもこの場所で十両優勝果たした清ノ森政夫対戦して敗れているため、周囲からは優勝祝福より「最高優勝十両(の清ノではないか」との意見まで出る始末だった。このために翌場所以降は、通常なら幕内上位三役以上、横綱対戦することが無い幕内下位力士でも、成績次第終盤取組組まれるよう編成するきっかけになったと言われている。

※この「英雄・五ツ嶋に憧れて入門」の解説は、「佐田の山晋松」の解説の一部です。
「英雄・五ツ嶋に憧れて入門」を含む「佐田の山晋松」の記事については、「佐田の山晋松」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「英雄・五ツ嶋に憧れて入門」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「英雄・五ツ嶋に憧れて入門」の関連用語

英雄・五ツ嶋に憧れて入門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



英雄・五ツ嶋に憧れて入門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの佐田の山晋松 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS