舛田利雄・深作欣二の登板とは? わかりやすく解説

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舛田利雄・深作欣二の登板

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:17 UTC 版)

トラ・トラ・トラ!」の記事における「舛田利雄・深作欣二の登板」の解説

1969年2月18日20世紀フォックスダリル・F・ザナック社長世界広域製作本部長リチャード・D・ザナック副社長連名で「舛田利雄深作欣二正式に決定1969年3月3日から撮影再開する」と正式に発表された。記者会見はされず、エルモの名で書面マスメディア送られ20世紀フォックス黒澤監督ならびに黒澤プロとのあらゆる関係は解消された等の説明書かれてあった。実際はまだこの時点では舛田監督決定しておらず、エルモ駆け回り1969年2月29日日活アクション映画旗手として活躍していたベテラン監督舛田交渉持ち1969年3月3日20世紀フォックス舛田と正式の契約書取り交わした2月17日に既に正式に舛田監督決定した報道するものもあり、2月18日早朝から舛田エルモ高木雅行アシスタント・プロデューサー主として配役について打ち合わせし、その合間マスメディアの取材応じ、「シナリオ黒澤さんが日本人の心をビシッと描き抜いて完璧だ。私自身アクション得意なのでその特技をこの作品活かしたい共同演出はあと、二、三日で正式に決まる。決定権はすべてエルモ氏にあるのでそれ以上分からないキャスティング一週間以内決める。撮影・編集とも監督がやる日本の映画育ちとしては編集権がないのは気になるが、しかし今さら条件出してムダだと思う。黒澤監督にはある人を通じて二日ほど前に『お会いしてお許しいただきたい』と伝えてもらった断られた。私自身は誰であれ日本人の手完成すべきだ思い引き継いだので、これは分かっていただきたい」「この作品日本人分担して完成させることは、今までともすると国辱的な合作映画多かっただけに大きな味があると思う」などと話した。また共同演出には深作欣二内定した1969年2月19日報じられた。深作は「演出の話は受けているがまだ正式決定見たわけではない」と話した20世紀フォックス舛田選んだのは、舛田自身は「20世紀フォックス製作の『素晴らしきヒコーキ野郎』に石原裕次郎出演する際に、私が監督をした『赤いハンカチ』を参考試写見たからだと思う」と話してる。また舛田1968年12月黒澤解任検討されていた頃、20世紀フォックスから「東映京都来てすぐに撮ってくれ」と連絡があったが、まだ黒澤の降板発表されてない時期きっぱり断った20世紀フォックスから「今後連絡するから、他の仕事請け負わない待っていてくれと言われていた」と話している。 三船市川断られた後、監督オファー受けた舛田は「黒澤さんのためにも、この映画お手伝いしようという気持ちと、ハリウッド映画からのオファーという理由引き受けることにした」と述べている。大作全部一人撮りきれない20世紀フォックスに話すと、20世紀フォックスから「もう一人誰かお前が一番やりやすい監督立てろと言われその人選を一任された。大作若輩トップで受けるのはおこがましい考えた舛田は、ちゃんとした人に自分の上立ってほしいと考え松竹野村芳太郎大映三隅研次(三隅は舛田との面識無かった)に共同監督要請をしたが両人とも別の撮影入っているとの理由断られた。やむなく自分メインでやろうと決意し以前パーティー顔を合わせていた東映アクション映画旗手深作欣二電話掛け協力要請エルモから「深作映画見たいと言われたため、東映岡田茂製作本部長頼み深作フィルム二本借りて20世紀フォックスがそれを参考試写し、深作共同監督を有力候補挙げた深作『トラ・トラ・トラ!』にあまり関心がなく、軍隊経験もなく、戦争映画撮った経験もないため、気は進まなかったが舛田熱心に口説かれ承諾した1969年2月17日エルモ銀座東映本社訪れ岡田茂東映製作本部長二者会談持ちエルモが「(1969年3月3日から撮影再開したい監督については舛田利雄チーフに、深作欣二監督スクリーン・プロセス監督起用したい」と深作貸し出し正式に申し入れ合わせて再度東映京都撮影所スタジオ借用申し入れた岡田は「スタジオ深作監督の二点とも、東映としてはできる限り協力惜しまない」と承諾し深作起用正式に決定した20世紀フォックスから後に1969年3月24日から4月11日まで、東映京都の四ステージ借用したい旨の正式な申し入れがありこれも承諾した監督正式決定舛田より深作の方が早い。これを受け、深作は同じ日の夜、虎ノ門ホテルオークラエルモ訪ねて具体的な打ち合わせ入った深作担当する部分黒澤重要な部分として約40日間スケジュール組んでいた箇所で、カット数は50越え部分佐藤純弥黒澤プロとの契約だったため、ギャラ300万円だったが、撮影再開後は20世紀フォックスとの直接契約となったため、深作ギャラ佐藤の四倍で、そのギャラスカイライン新車を買い、『軍旗はためく下に』の元金使ったという。 当時舛田日活専属契約1969年5月まで)、深作東映専属本数契約結んでおり、監督同士勝手に日活東映作品でもない映画監督決められない

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