舛添要一の合流と党名変更とは? わかりやすく解説

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舛添要一の合流と党名変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:03 UTC 版)

新党改革」の記事における「舛添要一の合流と党名変更」の解説

2010年4月23日自由民主党を離党した舛添要一らが改革クラブ合流し、名称変更対外的には新党結成)した。新たな政党結成ではなく党名変更であるため、改革クラブへの政党助成金交付これまで通り受けることができる。なお、舛添は、自由民主党参議院比例代表選出議員であるが、2007年当選時には改革クラブ政党として存在していなかったため、公職選挙法定め移籍制限には抵触しない舛添党首とする動き反発し4月22日中村喜四郎離党。翌23日大江康弘も「誘われたが、政党交付金目当て大義名分がない」と批判して離党改革クラブ新党移行により衆参統一会派自由民主党改革クラブ」が消滅中村引き続き衆議院自由民主党との統一会派自由民主党無所属の会」に参加し活動した4月23日舛添代表が都内で「新党改革」の結成会見行った。なお、新党改革旗揚げに際して、代表の舛添は略称を「ますぞえ新党」とする方針表明していたが、公職選挙法86条の7第1項後段は、届出る政党の名称や略称に代表者氏名類推させる表現使用禁じており、中央選挙管理委員会認め見込みがないことが判明したことから、この略称使用は幻に終わった6月鳩山由紀夫内閣総辞職に伴う首班指名選挙では舛添代表を全員支持7月11日行われた第22回参議院議員通常選挙において、比例区での得票率2.0%となり、政党助成法における政党要件引き続き満たし2016年7月までは国会議員1人上所属していれば政党要件満たすことになった。だが議員数は参議院で6人から2人へと激減し活動制約がかかることから7月16日たちあがれ日本参議院統一会派たちあがれ日本新党改革」を結成した参議院会派としては5人となり予算委員会での質疑参加できるようになった2011年8月菅第2次改造内閣退陣に伴う首班指名選挙では1回目舛添投票決選投票においては自由民主党公明党だけでなく同会派たちあがれ日本自由民主党総裁谷垣禎一支持した中、白票投じた2012年1月18日たちあがれ日本との統一会派解消するたちあがれ日本は翌19日自民党統一会派結成)。 2012年12月第46回衆議院議員総選挙比例東北ブロックおよび比例東京ブロック比例代表公認候補擁立したまた、他の政党公認候補11名を推薦した選挙の結果2名とも落選し衆議院での議席獲得はならなかった。2013年7月第23回参議院議員通常選挙改選迎え舛添代表は不出馬表明し、他にも党公認候補擁立しなかった。したがって新党改革所属議員荒井幹事長1人となる。 党幹部だった矢野哲朗は「(舛添体制時代の)新党改革総会役員会一度開かれていなかった」と述べている。

※この「舛添要一の合流と党名変更」の解説は、「新党改革」の解説の一部です。
「舛添要一の合流と党名変更」を含む「新党改革」の記事については、「新党改革」の概要を参照ください。

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