紀元節の制定までとは? わかりやすく解説

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紀元節の制定まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 22:43 UTC 版)

紀元節」の記事における「紀元節の制定まで」の解説

8世紀初めに編まれ『日本書紀』によれば神武天皇即位日は「辛酉春正月庚辰朔」であり、日付正月朔日、すなわち1月1日となる。 辛酉春正月 庚辰天皇帝位橿原宮 — 『日本書紀』卷第三神武紀 しかし、明治5年11月15日1872年12月15日)、明治政府神武天皇即位をもって紀元」と定め明治5年太政官布告342号)、同日には「第一廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた明治5年太政官布告344号)。(新暦による表示である)1873年1月29日は、新暦太陽暦グレゴリオ暦)で旧暦太陰太陽暦天保暦)のまま変えなかったときの明治6年1月1日に当たる日付並行して二つの暦を進めた時に重なる日)である。折柄明治5年12月2日1872年12月31日)の翌日をもって明治6年1月1日1873年1月1日)とし、新暦施行されることになっていた。 今般太陽暦頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被爲告候爲メ来ル廿五日御祭典被執行候事但當日服者参朝可憚事 — 「太陽暦頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典」(明治5年太政官布告342号)、 第一廿九日 神武天皇御即位當日ニ付祝日ト被定例御祭典被執行候事 — 「神武天皇御即位祝日例年御祭典」(明治5年太政官布告344号) 1873年明治6年1月29日神武天皇即位日を祝って神武天皇御陵遙拝式が各地行われた同年3月7日には、神武天皇即位日を「紀元節」と称することを定めた明治6年太政官布告91号)。なお、同年1月には、神武天皇即位日と天長節天皇誕生日)を祝日とする布告出している。 神武天皇御即位日紀元節ト被稱候事 — 「神武天皇御即位日紀元節ト稱セラル」(明治6年太政官布告91号今般改暦付人日上端午七夕重陽五節ヲ廃シ神武天皇即位日天長節両日ヲ以テ自今祝日ト被定候事 — 「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第1号) ところで、これらの太政官布告先立って明治5年11月9日1872年12月9日)に出されていた太陽暦施行する旨の太政官布告では、祭典等日付は、旧暦月日新暦月日には換算せずまったく同じ数字になるように施行するものと定めていた(明治5年太政官布告337号)。 (略)一 諸祭典等舊曆月日新曆月日ニ相當シ施行致事(略) — 「太陰暦ヲ廃シ太陽暦頒行ス」(明治5年太政官布告337号)抜粋 これは、祭典執行日を新暦固定し毎年旧暦月日から新暦月日換算する煩雑さを避けるための規定である。例えば、例年1月1日新年祝って行われる歳旦祭は、旧暦1月1日新暦当日ではなく新暦1月1日に行うということになる。 この規定影響などもあって、紀元節旧暦1月1日、すなわち旧正月を祝う祝日との誤解国民のあいだに広まった国民のこの反応見て政府は、紀元節神武天皇即位日を祝う祝日であるという理解広まらないではないか考えたまた、1月29日では、孝明天皇命日慶応2年12月25日1867年1月30日)、孝明天皇祭)と前後するため、不都合でもあった。 そこで、政府は、1873年明治6年10月14日新たに神武天皇即位日を定め直し2月11日紀元節とした(明治6年太政官布告344号)。 年中祭日祝日等ノ休暇日左ノ通候條此旨布告候事(略)孝明天皇一月三十日紀元節 二月十一日神天皇四月三日(略) — 「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告344号) 2月11日という日付は、文部省天文局が算出し暦学者塚本明毅審査して決定した。その具体的な計算方法明らかにされていないが、当時説明では「干支に相より簡法相立て」としている。 干支紀年法は、後漢元和2年ユリウス暦85年)に三統暦廃止して以降は、60周期単純に繰り返すようになっている神武天皇即位年の「辛酉年」は『日本書紀』編年720年養老4年)に成立)を元に計算する西暦紀元前660年相当し即位月は「春正月」であることから立春前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦先発グレゴリオ暦)で紀元前660年立春最も近い庚辰の日探す新暦2月11日特定される。その前後では前年12月20日同年4月19日庚辰の日であるが、これらは「春正月」にならない。したがって、「辛酉春正月庚辰」は紀元前660年2月11日とした。なお、『日本書紀』はこの日が「朔」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、朔は暦法依存しており「簡法」では計算できないので、明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。なお、現代天文知識に基づき当時月齢計算すると、この日は天文上の朔に当たるが、これは天文上のにあわせるため、庚辰の日即位日としたと考えられている。

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