第509爆撃航空群/航空団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 08:08 UTC 版)
「ウォーカー空軍基地」の記事における「第509爆撃航空群/航空団」の解説
第509爆撃航空団は空軍の中で最も有名な航空団の一つである。多くの人がそれを戦略航空軍団(1950年代と1960年代の間に発達した強力な核爆撃兵力)の中核部隊とみなしている。 1946年5月、陸軍航空隊は新しく作られた戦略空軍に原子爆弾による戦略爆撃任務を与えた。軍団の爆撃ユニットのうち一つだけ、即ち第509混成部隊が訓練され原子爆弾投下任務に備えていた。第509爆撃航空群は1945年11月6日にその前の西太平洋にある台湾の戦闘基地からロズウェルに到着した。 第509爆撃航空団に属する航空大隊は: 第393爆撃飛行大隊 第715爆撃飛行大隊 第830爆撃飛行大隊 1948年7月19日に第509燃料補給飛行大隊が加えられ、1959年3月1日に第661爆撃飛行大隊が到着した。第661爆撃飛行大隊は1962年1月1日に解散された。 1947年11月17日、戦略空軍(SAC)は第509爆撃航空団をロズウェルで編成し、第509爆撃航空群を同航空団の戦闘構成要素として隷属させた。航空群の歴史と名誉も航空団へと授けられた。 1947年から1948年のあいだ、第509爆撃航空団はマリアナ諸島から移駐したボーイングB-29スーパーフォートレスを運用した。ところが1950年、航空団は機体を新しいボーイングB-50Dスーパーフォートレスへと更新し、1949年から1951年のあいだ、B-50Dを運用した。巨大なB-36ピースメイカーが空軍の装備に加えられたとき、部隊名における"Very Heavy"(重爆撃)の称号は永久に中止されることになった。第509爆撃航空団は、全ての他のB-29およびB-50を配備した航空団と同様に、"Medium"(中型)と称された。新しいB-36を配備した航空団が"Heavy"(重爆撃)と称されることになった。 1955年から1956年のあいだ、第509爆撃航空団の機材はボーイングB-47EストラトジェットとボーイングKC-97ストラトフレイターへと移行した。空中補給任務は最初はB-29Mのホース型の空中給油機で、後にB/KB-29Pのフライングブーム式の空中給油機で遂行された。第509爆撃航空団は、1949年から1958年のあいだに戦略爆撃訓練と空中給油を受け持ち、1950年代初期に数回航空団として前方展開配置についた。三回はイングランドへ、一回はグアムへである。 1958年1月16日、第509爆撃航空団はニューハンプシャー州ピーズ空軍基地へと移転した。 遺産 1966年、第509爆撃航空団はB-52EおよびKC-135Aへと移行し、SACの米国本土における核警戒任務のサポートと東南アジアでの有事作戦の配置につくことを同時に行った。1969年12月、この航空団は第509爆撃航空団(Medium)と称されることになり、1970年にそれらのB-52EをFB-111Aへと更新した。第509爆撃航空団は、基地が閉鎖される1990年12月30日までピーズ空軍基地に残り、それから書類上はミズーリ州ホワイトマン空軍基地へと移転したが、1993年まで配置されなかった。1992年6月1日に、戦略空軍の廃止とともに、第509爆撃航空団(509th Bombardment Wing)は第509爆撃航空団(509th Bomb Wing)と改名され、新しく編成された航空戦闘軍団Air Combat Commandの一部になった。1993年12月17日にその最初のB-2A"スピリット"(ステルス)爆撃機を受け入れた。第509爆撃航空団はアメリカ空軍で唯一のB-2を配備する航空団としてワシントン空軍基地から作戦行動をとり続けている。
※この「第509爆撃航空群/航空団」の解説は、「ウォーカー空軍基地」の解説の一部です。
「第509爆撃航空群/航空団」を含む「ウォーカー空軍基地」の記事については、「ウォーカー空軍基地」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から第509爆撃航空群/航空団を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から第509爆撃航空群/航空団を検索
- 第509爆撃航空群/航空団のページへのリンク