第4篇
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「エミール (ルソー)」の記事における「第4篇」の解説
エミールは肉体的に強く、周囲の世界を注意深く観察することを学ぶと、教育の最後の部分である感情の準備が整う。「我々は活動的で思考する存在を育てた。人間を完成させるために、私たちに残されているのは、愛し、感じる存在を育てること、つまり、感情によって理性を完成させることである。」 エミールはこの時点でティーンエイジャーであり、ルソーは、エミールが今や複雑な人間の感情、特に同情を理解できるようになったと信じている。ルソーは、子どもが他人の代わりに自分自身を置くことはできないが、思春期に達してそうすることができるようになり、エミールはついに世界に連れて行かれ、社交的になることができるという。青年期の間に新たに社会に意欲を見せるようになったエミールにさらに、家庭教師は彼に宗教というものを紹介する。ルソーによれば、子供たちは15歳か16歳になる前に魂のような抽象的な概念を理解することができないので、彼らに宗教を手ほどきするのは危険を伴う。ルソーは次のように書いている。「神性に気づかないことは、それを怒らせることほど悪いことではない。」さらに、子どもたちは宗教の一部である難しい概念を理解することができないので、子供たちは彼らに言われたことを暗唱するだけであり、彼らは信じることができないと彼は指摘する。 第4篇には、有名な「サヴォア司祭の信仰告白」も含まれている。これは、エミールの非難の主な原因であり、親の書とは無関係に最も頻繁に抜粋されて出版された部分である。ルソーは「職業」の最後に次のように書いている。「私はこの文章を、宗教的な問題で従うべき感情の原則としてではなく、生徒と推論する方法の例として書き写した。私が確立しようとした方法とは異なる。」 ルソーは、司祭を通して、読者を信仰のみという主張を通して、自然宗教に導いていく。ルソーはこのように書く。「もし彼が(基礎的な自然宗教を超えて)別の宗教を持たなければならないとしたら、私はもう彼を宗教に案内人であることはできない。」
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第4篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:06 UTC 版)
第4篇は経済学史などに位置づけられる。旧来の学説、具体的には重商主義、重農主義への批判だが、ほとんどは前者への批判に割かれている。スミスは重農主義に対しては批判しつつも影響を脱し切れておらず、農業を重視する生産的労働と不生産的労働などにも投影されている。 重商主義は金銀貨幣を富と解釈し、その蓄蔵を志向する。しかし、国内商業では、売り手に富が蓄蔵される一方、買い手は損失を出すことになる。そこで重商主義では、国際貿易で財貨を稼ぐことを重視し、輸出の奨励と輸入の抑制のための政策が採られるとともに、植民地拡大を目指し、軍事費も増大することになる。しかし、スミスは重商主義政策を輸入抑制のための2政策、輸出奨励のための4政策、計6つに分類し、この第4篇では1章ずつを割いて批判した。批判した論点の中では植民地論の比重が明らかに大きいが、これは当時のアメリカ植民地の情勢(初版刊行から約4か月後にアメリカ独立宣言が出された)と強く結びついている。 スミスは輸入の制限を有害なものとした。他方で国防をより上位に置き、航海条例を高く評価している。ゆえに無条件に規制の全廃を主張したわけではないし、規制をなくすことで損害を被る人々のために、改革の速度を漸進的とすべきことも主張した。また、輸出奨励金も有害なものとし、輸出を奨励する政策は、不利な産業に過度の資本を投入させるものとして批判している。同様に植民地支配にしても、植民地から安く買いたたいて高く売りつけたところで、不利な産業への資本の偏重を促進することで、自国の産業発展を歪めることになるとした。また、植民地の防衛に本国の税金が投入されるというコスト面からも、植民地支配の非効率性を指摘した。 そして、アメリカ植民地については、彼らの代表権(イギリス議会の議席)を認めて取り込む案と、植民地を放棄し、同盟国とする案とを示した。とはいえ、スミスは前者の実現困難性に触れており、アメリカの伸長に伴って課税額に応じた代表数が拡大すれば、イギリスの首都がアメリカ大陸に移転する事態が起こりうると懸念した。
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