第一次東禅寺事件とは? わかりやすく解説

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第一次東禅寺事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:40 UTC 版)

幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「第一次東禅寺事件」の解説

詳細は「東禅寺事件」を参照 文久元年5月イギリス公使オールコック長崎から江戸へ陸路旅したが、この行動対し尊攘派志士らは「神州日本穢された」と憤激した文久元年5月28日1861年7月5日午後10時頃、有賀半弥首魁とする水戸藩脱藩攘夷浪士14名は東禅寺イギリス公使館内侵入しオールコック公使らを襲撃した外国奉行配下公使館警備に就いていた旗本郡山藩士・西尾藩士らが応戦し、邸の内外攘夷浪士戦闘双方死傷者出したオールコック危うく難を逃れたが、書記官ローレンス・オリファント長崎駐在領事ジョージ・モリソン負傷した攘夷浪士公使らの殺害失敗し3人が討取られ1人現場で捕縛された。現場から逃走した浪士も、3人は切腹1人捕らえられた。事件後、オールコック幕府対し厳重に抗議しイギリス水兵公使館駐屯承認日本警備兵増強賠償金1万ドル支払いという条件事件解決をみた。この事件の後英国艦隊軍艦横浜常駐するようになった

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第一次東禅寺事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:32 UTC 版)

東禅寺事件」の記事における「第一次東禅寺事件」の解説

文久元年5月28日1861年7月5日)、水戸藩脱藩攘夷浪士14名がイギリス公使ラザフォード・オールコックらを襲撃した事件文久元年5月イギリス公使オールコック長崎から江戸へ向かう際、幕府警備上の問題から海路での移動勧めたのに対し条約定め国内旅行強硬に主張して陸路江戸へ旅し5月27日にはイギリス公使館が置かれていた江戸高輪東禅寺入った。この行動対し尊攘派志士らは「夷狄である外人男性神州日本穢された」と憤激した水戸藩脱藩攘夷浪士有賀半弥14名は、5月24日常陸国玉造湊を出航し東禅寺門前の浜に上陸すると、品川宿妓楼虎屋」で決別の盃を交わした後、5月28日午後10時頃、東禅寺イギリス公使館内侵入しオールコックらを襲撃した外国奉行配下公使館警備に就いていた旗本郡山藩士・西尾藩士らが応戦し、邸の内外攘夷浪士戦闘し、双方死傷者出した警備兵2名、浪士側3名が死亡)。オールコック危うく難を逃れたが、書記官ローレンス・オリファント長崎駐在領事ジョージ・モリソン負傷した両名その後帰国している。 攘夷浪士公使らの殺害失敗し逃走有賀半弥小堀寅吉古川主馬之介の3名がその場で討取られ三郎現場で捕縛された(旗本生駒親敬預けられた後、12月斬首)。逃げた浪士も「虎屋」で包囲され中村貞介、山崎信之介の2名は切腹石井金四郎は捕えられ、旗本山名義済預けられた後に処刑前木新八郎も逃げ切れず切腹している。浪士はいずれ襲撃趣意書携帯しており、それには「尊攘大義のため」実行した旨が記されていた。逃走した黒沢五郎高畑総次郎その後坂下門外の変参加し死した岡見留次郎西国逃走し天誅組の変参加敗走後捕えられ斬首された。木村幸之助、半蔵ら、その他の浪士たちも逃亡の末切腹獄死及び斬首され、明治時代まで生き延びたのは渡辺剛矢沢金之助と、襲撃参加せず逃走捕縛後明治維新により特赦された堀江芳之助のみであった事件後、オールコック江戸幕府対し厳重に抗議しイギリス水兵公使館駐屯承認日本警備兵増強賠償金1万ドル支払いという条件事件解決をみた。しかし、この交渉に基づき品川御殿山に建設中であった公使館は、翌年12月高杉晋作らによって放火されている(英国公使館焼き討ち事件)。 事件以前オールコック幕府警備口実として自分達を監視していると思っていたが、攘夷運動の熾烈さを強く認識することとなったオールコック著書で「警備兵浪士と戦わなかった」と記しているが、実際に警備兵はその責務果たしている。事件当時外国方として東禅寺にいた福地桜痴目撃した事件概要記録している(『史談速記録』)。後日浪士らを撃退した警備武士48名に対し褒賞下された外国同心斎藤大之進は本件警備によりイギリス政府から賞をうけた。

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