第一回順拝バスとは? わかりやすく解説

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第一回順拝バス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 06:17 UTC 版)

伊予鉄順拝バス」の記事における「第一回順拝バス」の解説

第一回順拝バス運行の経緯は、『伊予鉄順拝バス五十年史』に詳しく書かれている同書参考にして、ここではその概略を記すこととする。 順拝バス運行検討され昭和20年代時代背景として、伊予鉄道では1951年昭和26年)に一番町道後営業所一般貸切旅客自動車運送業開始していたほか、子会社四国日野ヂーゼル販売株式会社内に伊予観光社を設立していて、観光業務に進出する環境整っていた。 四国遍路行程はおよそ1,400キロメートルにおよび、徒歩で全行程回った場合には約90日を要する1920年代ごろからは四国においても交通網の整備進み汽船汽車馬車などの交通手段遍路移動手段としても取り入れられいわゆるモダン遍路」が生じたが、それでも全行程おおよそ30日程度要していたようである。このような状況において、貸切自動車での八十八ヶ所巡礼発案したのが、永野営業係長(のちの伊予鉄道第12代社長)と橋本衛係係員であった計画1952年昭和27年)に本格化し、遍路紹介本などを基に地形図上に線を引いてコース策定が行われた。ただし運行前に実際コース試走するといったことは行われなかった。日程1314日参加費用1人13,600円と決定され運行開始備えて日野自動車ボンネットバス新車として導入された。 募集に対して24人の参加者集まり加えて運転士添乗員の4人が乗務した。出発日1953年昭和28年4月26日には伊予鉄道本社壮行会開かれこの際バスの前で参加者らが並んで撮られ記念写真残されている。以降行程概ね以下の表に示した通りである。勿論基本的に貸切バスでの巡礼であるが、ところによって渡し船ケーブルカーなどバス以外の交通手段利用している。また、道路未整備のために、バス降りて徒歩で山を上る場面少なくはなかった。65三角寺では、困難な道中参加者音を上げ住職説法でなんとか旅行継続される場面もあったという。宿泊地への到着連日夜遅くになり、8日目宿泊予定していた室戸到達できず、手前牟岐宿泊することとなった9日目に相談もたれた結果当初の予定より1日延ばして1415日とすることが決定された。そして15日目の5月10日に、51石手寺結願となった結願後は道後公園内の湯月荘で解散が行われた。 第一回順拝バスの後、4ヶ年1516日行程組まれていたが、1957年昭和32年)には1415日となり、以降順次日程短縮され1978年昭和53年以降1112日となって現在に至る。

※この「第一回順拝バス」の解説は、「伊予鉄順拝バス」の解説の一部です。
「第一回順拝バス」を含む「伊予鉄順拝バス」の記事については、「伊予鉄順拝バス」の概要を参照ください。

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