第一回衆議院選挙
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明治23年(1890年)7月、国会開設に伴う第一回衆議院議員選挙が実施され、本県第三区(会見・汗入・日野三郡)から県会議員門脇重雄が立候補した。 直接国税15円以上納入者が選挙人という厳しい制限選挙であったため、事前運動、選挙運動は熾烈を極め、汗入・会見郡長森田幹が門脇の運動に郡役所の吏員を奔走させ問題となった。門脇はこの選挙で松南宏雅に敗れ落選したが、この間に県会議長を務め、翌年8月松南辞任による補欠選挙で国会議員となった。 国会開設によって自由民権運動が再び高揚し、選挙応援を兼ねた民党(野党である自由党・改進党)、吏党(政府側与党)の活発な地方遊説が行われた。明治26年(1893年)には自由党総理板垣退助の来鳥を機に、米子に自由党鳥取県支部が置かれ県下における政党活動の先陣を切った。門脇はそのリーダーであった。
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