第一回陸海軍大演習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 09:14 UTC 版)
「明治天皇駐蹕御趾」の記事における「第一回陸海軍大演習」の解説
大演習は、西軍 (侵入軍) と東軍 (防衛軍:日本軍) が対抗するという想定で行われた。大阪第四師団に近衛師団の一部を加えた13,000人が西軍、名古屋第三師団に近衛師団の一部を加えた1,500人が東軍である。 西軍は2か国連合の海軍力をもって各地から上陸し、東軍は上陸軍に対抗するとの想定のもとに、3月30日の鳥羽沖での海戦に引き続き、3月31日には衣浦湾での海戦と半田地区での陸戦が行われた。4月1日から2日にかけては知立・刈谷から鳴海・名古屋東部での陸戦が行われた。そして4月3日には名古屋八事山で大観兵式が執り行われた。5日間にもわたる大演習であった。 軍隊の演習は、軍隊の錬成及びその成果の確認のために行われるものである。一般には衆目に曝して行われることは稀である。だが、この大演習には欧米諸国から観戦のために公使や武官が多数招待された。また、皇族・各大臣・各鎮守府長官・各師団長・県知事など国内貴顕も多数陪観者として参加し、一般国民にも観戦が勧められていた。
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