第一国分基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/28 22:28 UTC 版)
国分平野の南部、当時の東国分村大野原(現在の霧島市国分広瀬と国分福島)にあり面積は約300ヘクタールあった。1600×1000メートルの滑走路に3000平方メートルの格納庫と33基の掩体壕を持ち、176名の士官と2300名の兵員を収容することができた。1945年(昭和20年)4月16日から18日にかけてアメリカ軍B-29などによる空襲を受け、基地と周辺住宅地に被害があった。 終戦後は民間に払い下げられ農地などに転用された。中には沖縄県から疎開してきた人々が定着した集落もあり、地元では「沖縄村」と呼ばれていた。1955年(昭和30年)に跡地の一部を利用して陸上自衛隊国分駐屯地が開設された。1964年(昭和39年)8月15日に「特攻機発進之地」と記された記念碑が建立され、毎年4月22日に慰霊祭が行われる。
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