第二国分基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/28 22:28 UTC 版)
第一国分基地から約8キロメートル北方の十三塚原に建設された。1500×50メートルの滑走路と51基の掩体壕を持ち、50名の士官と1500名の兵員を収容することができた。 戦後は民間に払い下げられ農地として利用された。跡地の一部は1972年(昭和47年)に移転した鹿児島空港の一部となっている。特攻隊の歴史を後世に伝えるため1977年(昭和52年)7月に「特攻慰霊碑建立委員会」が結成され、1979年(昭和54年)4月6日、鹿児島空港北西にある上床公園に「十三塚原海軍特攻の碑」が建立された。
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