第二回航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:05 UTC 版)
「サン・ファン・バウティスタ号」の記事における「第二回航海」の解説
1616年9月30日(元和2年6月20日)、ルイス・ソテロの要求でサン・ファン・バウティスタ号は再びアカプルコを目指し浦賀を出航した。仙台藩の横澤吉久(将監)や、カタリーナ神父らスペイン人10人、向井忠勝派遣の船頭ら日本人200人が同乗した。その航海中に悪天候で船頭を含む約100名の水夫が亡くなった。船は1617年2月23日(元和3年1月18日)にカリフォルニアのロス・モリネスに到着し、その後、アカプルコへ航行した。この頃、日本とスペインの関係は冷え切っており、前回と同様にサン・ファン・バウティスタ号の再来は歓迎されなかった。また、悪天候による船の損傷を修理する必要が生じた。 ヨーロッパから戻ったソテロと支倉は日本へ帰る為にメキシコで再会し、彼らを乗せたサン・ファン・バウティスタ号は1618年4月2日(元和4年3月7日)にアカプルコを出航した。この他には、フィリピン総督として新たに着任するアロンソ・ファハルドが同乗した。一行は1618年8月10日(元和4年6月20日)にルソンのマニラに到着したが、そこでサン・ファン・バウティスタ号はオランダへの防衛を固めていたスペインに半ば強制的に買収された。
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