エンデバー号の航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:02 UTC 版)
「ジョゼフ・バンクス」の記事における「エンデバー号の航海」の解説
その後すぐに、バンクスは、王立協会と王立海軍が計画した、エンデバー号による南太平洋探検航海に、ソランダー、画家シドニー・パーキンソンらとともに、科学班の一員として参加した。この事業の主要な推進者であった海軍大臣サンドウィッチ伯の幼なじみでもあったバンクスは、私費で1万ポンドを拠出した。これは、ジェームズ・クックによる太平洋探検の第一回航海である。エンデバー号はマデイラ諸島を経由して、まずブラジルに向かった。バンクスは同地でブーゲンビリアの最初の科学的記載を行なった他(名前はクックの同時代の好敵手フランス人探検家のブーガンヴィルに因む)、多くの南米の植物を採集した。 続いてタヒチとニュージーランドを経由してオーストラリア東岸に到達し、一行はヨーロッパ人として最初にオーストラリアに上陸を果たし、イギリスによる領有を宣言した。一行が上陸したのは、今日のシドニー近郊のボタニー湾と、クイーンズランドのクックタウン近郊のエンデバー川河口である。後者では、グレートバリアリーフで大破したエンデバー号の修理が7週間行われ、バンクス、ソランダー、ヘルマン・スペーリングらは大量の植物標本の収集を行なった。ボタニー(植物学)湾 とは、同地でバンクスらが採集したこれら珍しい植物標本の採集を記念した命名である。ところで、バンクスは離英前にフリーメイソンに参加していたので、ニュージーランドおよびオーストラリアに上陸した最初のフリーメーソンとされている。 なお、この航海は壊血病予防策に効くと言われた色々なものが詰まれており、バンクスは「壊血病予防に最初麦芽汁(ビタミンBは豊富だがCはほとんどない)を毎晩1パイント(約半リットル)以上飲んだが壊血病の初期症状が出始め、レモン果汁を1日1オンス(約170㏄)飲むようにしたら1週間で治った」と日誌で書いているにもかかわらず、後年書いた日誌では「壊血病には麦芽汁が効いたらしい」と矛盾することを書いている。もっともこれは彼だけではなく船医のウィリアム・ペリーも麦芽汁と柑橘類のロブ(煮詰めた果汁、加熱でビタミンCが失われていたがまだ同量のレモン程度は残っていた)の有効性について「ロブを試して成功だったが麦芽汁はほとんど価値がない」と「麦芽汁の結果はよかったがロブは論外」と正反対の報告を残している。 1771年2月にロンドンに帰還すると、バンクスは一夜にして時代の寵児となった。クックが足下にも及ばないほどの人気者となったバンクスは、もちろん、クックの第二回航海にも参加するつもりであった。召使いやホルン奏者を含むバンクス一行17名のために、バンクスは第二回航海の調査船レゾリューション号の改築を申請した。ところが、バンクスの要望を容れて改築した船は安定を失って、試験航海で危うく転覆しそうになり、結局、元の姿に戻された。バンクスはこれに憤激して、探検航海から降りてしまった。代わりに、バンクスは1772年7月、ソランダーとともにアイスランドへ赴き、多くの植物を採集して帰国した。
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