エンデバー礁の引き揚げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 22:04 UTC 版)
「エンデバー (帆船)」の記事における「エンデバー礁の引き揚げ」の解説
1886年クックタウンの労働者進歩協会が、エンデバー礁でエンデバー号が座礁した際に投棄した砲を記念碑として引き揚げたいと発表した。協会は300ポンドの懸賞金を拠出したが、その年と翌年の調査では何も見つからなかった。1966年、1967年、1968年にさらに行なわれた調査も成果を上げなかった。 1969年にフィラデルフィア自然科学研究所によって設計された高感度の磁力計を用いた調査によって、遺棄された砲、鉄製のバラストが礁の近くで発見された。座礁地点が特定されたことによって、錨の探索範囲も狭まった。航海日誌を付けていた中で7名が錨は西へ投錨したとしていたため、クックの航海記録と日誌では南と記されていたにも関わらず、それはおそらく誤読でクックも西と記述しているのであろうと調査隊は判断した。そこで西側が何度も探索されたが反応がなく、調査範囲の外で向きを変えた際に偶然に磁力計に反応が検知され錨が発見されたが、そこはクックの記した通り南側であった。 オーストラリア国立海洋博物館によって砲は保存され展示されている。錨と、砲の一部はクックタウンのジェームス・クック歴史博物館にも展示されている。これらの遺品はオーストラリア国立博物館から両館に長期貸し出されている。
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