エンデュアランス号の喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:02 UTC 版)
「アーネスト・シャクルトン」の記事における「エンデュアランス号の喪失」の解説
エンデュアランス号は12月5日にウェッデル海へ向けてサウスジョージアを出発し、ヴァーゼル湾へ進路を向けた。船が南へ進むと流氷に遭遇し進みが遅れた。ウェッデル湾の奥に入ると状況は徐々に悪化し、1915年1月19日にエンデュアランス号は流氷に囲まれた。翌春になるまで閉じ込められたままとなることを認め、2月24日には船の日常業務を中止して越冬基地となった。船は続く数ヶ月、氷とともにゆっくりと北へ流された。9月に春が到来すると、割れた氷が動き船体に強い圧力をかけた。 このときまで、シャクルトンは船が氷から解放され、ヴァーゼル海へ戻ることが可能になることを期待していた。しかし10月24日、海水が浸み込み始めた。数日後、南緯69°5'、西経51°30'の地点で船を放棄する命令を下した。そして隊員と食糧、装備を氷の上のキャンプへ移した。1915年11月21日、船の残骸が完全に氷の下へ沈んだ。 ほぼ2か月間、シャクルトンと隊員は大きな浮氷の上でキャンプし、貯蔵品があることが判っている約250マイル (402 km)離れたポーレット島へ流されることを願っていた。氷を越えてこの島へ向かう試みに失敗した後、シャクルトンは別の浮氷の上により恒久的なキャンプ(ペイシャンス・キャンプ(Patience Camp))を設置し、氷が彼らを安全な陸地へ運ぶことに期待することにした。4月9日、浮氷が二つに割れたことから、シャクルトンは隊員に救命艇へ移り、一番近い陸地へ向かうことを命じた。海上で5日間苦闘した後、疲弊した彼らはエンデュアランス号が沈没した地点から346マイル (557 km)離れたエレファント島に上陸した。シャクルトンは隊員のことを気にかけており、救命艇の航海中に手袋を無くした写真家のフランク・ハーレー(英語版)に自分の手袋を与えた。その結果、シャクルトンの指が凍傷になった。
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