第一国立銀行創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:50 UTC 版)
三井が最初に銀行設立を出願したのは1871年(明治4年)7月だった。三野村利左衛門が「為換座三井惣頭八郎右衛門名代」として大蔵省あてに提出した「新貨幣銀行願書」がそれである。三井家が銀行設立を企図した背景には政府の推奨もあった。政府は三井組を新貨幣為換方に任命するに際し、「真成之銀行」を設立するよう指示した。当時大量の政府紙幣の整理方法として吉田清成などはイギリス流の中央銀行を創設しようとする考え方が強力であった。三井はその具体化であったにもかかわらず、朝議は突如一変し、大蔵省は三井組に対する銀行認可を取り消すに至った。三井は「三井札」の発行や呉服業の分離を進めていたにもかかわらず、アメリカ出張中の伊藤博文の強い主張にもとづき、アメリカ流の国立銀行制度を採用したためである。三井は小野組と共に三井小野組合銀行(第一国立銀行の前身)設立への出資をおこなったが、同時に銀行の単独営業への動きを強めた。
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