第一の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:16 UTC 版)
モササウルスは最初に命名されたモササウルス科の属である。学術的に知られた最初の化石は、1764年にジェーン・バプティスト・ドローウィンが発見して1766年に記載したものであり、オランダのマーストリヒト付近の丘である聖ピーター山の白亜産地から産出した頭骨断片である。ハールレムのテイラーズ博物館初代館長マーティン・ヴァン・マルムは1784年にこの標本を自館に持ち込み、1790年に記載を発表した。彼はこの標本をクジラの一種と考えた。この標本は TM 7424 としてコレクションの一つとされている。 第二の標本が発見された時期には諸説あり、1770年、1770年ごろ、1780年ごろ)とするものがある。いずれにせよ、この頃に第二の部分的な頭骨が発掘されている。これは律修司祭テオドルス・ジョアネス・ゴディングが所有する土地で発見されており、彼は標本を丘の上の斜面に立つ自身のカントリーハウスに展示した。退役したドイツ軍医ヨハン・レオナルド・ホフマン(1710-1782)もまた、同じ断片を収集し、ドイツ人の医者兼博物学者ペトルス・カンパーとともに頭骨を組み立てた。ホフマンはこの動物をワニと推測した。しかし1786年にカンパーはこれに反対し、標本を未知の歯クジラと結論付けた。 マーストリヒトは重要な要塞都市であり、1794年の末にフランス革命軍に占領された。地質学者バルテルミー・フォジャ・ド・サン=フォンは都市陥落2ヶ月後のマーストリヒトで生き延びており、芸術的・科学的に価値ある物をフランスへ輸送していた政治将校 Augustin-Lucie de Frécine (1751–1804) とともに、標本を持ってフランス騎兵と同行した。別荘から要塞へ標本が移動されたことを悟った Frécine は、最初に頭蓋骨の所在を突き止めて持ってきた者に上等のワインを瓶で600本与えることを打診し、すぐに数十人の兵士が頭骨を回収して報酬を受け取った。1974年12月に標本は戦争の戦利品として略奪されてパリへ運ばれ、国の遺産に指定されて新しい国立自然史博物館のコレクションに加えられた。[いつ?] 1798年にバルテルミー・フォジャ・ド・サン=フォンは Histoire naturelle de la montagne de Saint-Pierre de Maestricht [Tome 1] を発表し、ここに発見の道のりを綴った。彼によると、化石発見の折には通知するようホフマンは採石場の職員に金を支払っており、頭骨が1770年に発見された際に知らせを受けた彼は発掘の指揮を執ったという。後にゴディングが地主としての権利を主張し、法廷に圧力をかけてホフマンに勝訴し、所有権の放棄を彼に迫った。1795年にド・サン=フォンは標本を保護し、ゴディングに過失の補償を約束させた。しかしながら、ドイツ人の歴史学者ペギー・ロンペンはこの物語に一切の証拠がないと指摘しており、実際に他の情報源により実証が不可能である。ゴディングが本来の化石所有者であり、ホフマンは化石を手にしたことがなく、ド・サン=フォンが何かを支払ったこともおそらくなく、軍事力による化石の没収を正当化するためのカバーストーリーであると考えられている。
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