竣功から戦中戦後にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 10:27 UTC 版)
「各務原鉄道K1-BE形電車」の記事における「竣功から戦中戦後にかけて」の解説
1926年(大正15年)1月の同社路線開業に際して運用を開始した。当初は前述の通りトロリーポール集電方式で落成した本形式であったが、1931年(昭和6年)に集電装置のパンタグラフ化が実施され、同時に歯車比を3.66 (66:18) へ変更して中高速域の加速特性の改善が図られた。 1930年(昭和5年)8月20日付で美濃電が名岐鉄道へ吸収合併されたことを受けて、各務原鉄道は名岐鉄道の傘下事業者となったのち、1935年(昭和10年)3月28日付で名岐鉄道へ吸収合併された。本形式も名岐鉄道へ継承され、当初は原形式・原番号のまま運用されたが、名岐鉄道と愛知電気鉄道の対等合併による(現)名古屋鉄道の成立後の1941年(昭和16年)に実施された形式称号改訂に際して、新たにモ450形の形式称号が付与され、記号番号はモ451 - モ458(モ451・モ452・モ455は初代)と改められた。 合併後も主に各務原鉄道線改め各務原線において運用されたが、沿線に日本陸軍の各務原飛行場など軍事関連施設を数多く有した各務原線は太平洋戦争(第二次世界大戦)中の空襲によって甚大な被害を蒙り、同路線区において運用された本形式もモ451(初代)・モ452(初代)・モ455(初代)・モ458の4両が戦災により被災焼失した。同4両はいずれも木造車体を新製して復旧されたが、新製された車体は前面が従来より平面に近い丸妻形状の3枚窓構造となり、妻面の円弧形状が緩くなったことに伴って妻面と側面との接合部が前位側へ移動したことにより寸法的な余裕が生じた側面車端部と客用扉の間に乗務員用の狭幅窓を新設し、側面窓配置は1 D 3 2 2 3 D 1と変化した。また、客用扉の上辺が3400系などと同様にアーチ状に曲線形状を描く特徴的な形態に改められた。
※この「竣功から戦中戦後にかけて」の解説は、「各務原鉄道K1-BE形電車」の解説の一部です。
「竣功から戦中戦後にかけて」を含む「各務原鉄道K1-BE形電車」の記事については、「各務原鉄道K1-BE形電車」の概要を参照ください。
竣功から戦中戦後にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:21 UTC 版)
「名岐鉄道デボ300形電車」の記事における「竣功から戦中戦後にかけて」の解説
導入後は郡部線と総称される各路線において運用された。後年郡部線においてパンタグラフ集電方式が採用された際、全車とも屋根上中央部に菱形パンタグラフを1基新設したが、当時の郡部線は押切町から名古屋市電の路線を経由して市内中心部の起点駅であった柳橋へ至っていた都合上、名古屋市電の路線内にて使用するトロリーポールはそのまま存置された。 尾西鉄道譲受後に実施された形式称号改訂に際しては、1507 - 1509はデボ300形301 - 303と、1501 - 1506・1510はデボ350形351 - 357と、それぞれ新たな形式称号および記号番号が付与された。 その後、デボ302・デボ303は1938年(昭和8年)12月に車体の一端へ荷重2 tの郵便室を新設して合造車へ改造され、同2両はデボユ310形311・312と再び形式称号および記号番号を改めた。次いで同年内にデボ301およびデボ357についても同様に郵便合造車への改造が実施され、こちらはデボユ320形321・322と別形式に区分された。 デボ302 → デボユ311 デボ303 → デボユ312 デボ301 → デボユ321 デボ357 → デボユ322 なお、デボ300形を種車とする車両については改造に際して車体中央部に客用扉が増設され、またこの結果デボ300形の形式称号を付与された車両は消滅した。 名岐鉄道と愛知電気鉄道の対等合併による現・名古屋鉄道(名鉄)成立後の1941年(昭和16年)2月に実施された形式称号改訂に際しては、デボユ310形はモユ310形と、デボユ320形はモユ320形と、デボ350形はモ350形と、それぞれ形式称号のみが改訂された。また、同年8月12日に東枇杷島 - 新名古屋(現・名鉄名古屋)間の新線開通に伴って旧ルートの東枇杷島 - 押切町 - 柳橋間が廃止となったため、全車とも不要となるトロリーポールを撤去し、同時にパンタグラフを中央部から端部へ移設した。 1943年(昭和18年)にモ350形353は火災により車体を焼失し、復旧に際しては自社新川工場において木造車体を新製した。新製された車体は愛知電気鉄道が発注した木造車に類似したシングルルーフ構造の角ばった外観を有し、平妻形状の妻面に3枚の前面窓を備え、乗務員扉および片側2箇所設置された片開客用扉の上辺はアーチ形状の曲線状に処理され、側面窓配置はd 2 D 6 D 2 d(d:乗務員扉)と変更されるなど、原形とは全く異なるものとなった。
※この「竣功から戦中戦後にかけて」の解説は、「名岐鉄道デボ300形電車」の解説の一部です。
「竣功から戦中戦後にかけて」を含む「名岐鉄道デボ300形電車」の記事については、「名岐鉄道デボ300形電車」の概要を参照ください。
- 竣功から戦中戦後にかけてのページへのリンク