竣工から第二次大戦初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/13 09:22 UTC 版)
「アメリカ (1940年の客船)」の記事における「竣工から第二次大戦初期」の解説
アメリカ号はノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズによって、1938年8月2日にバージニア州のニューポートニューズで起工された。内装は女性がデザインした。当時としては数少ないオーシャン・ライナー(大洋を横断する船)であった。1939年8月31日にはエレノア・ルーズベルトの後援で進水した。1940年8月22日に、ユナイテッド・ステイツ・ライナー社の主力船として処女航海を行った。 初期のアメリカ号では、一等船客543人、二等船客418人、三等船客241人、船員643人を乗せられるよう設計された。船室は建築家のEggers & Higginsによってデザインされた。ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発してもしばらくの間はアメリカ合衆国は中立であったため、アメリカ号は両舷に大きな国旗を掲げて航行し、夜は電飾が点った。しかし1941年1月3日からは触雷防止策が施されることになった。 大戦中は、ナチのスパイも船員として紛れ込んでいた。彼らは船舶の航行やパナマ運河に関する軍事情報を得ていた。彼らは後にFBIにより他の31のスパイと同時に摘発された。
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