立花小一郎とは? わかりやすく解説

立花小一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 16:31 UTC 版)

立花小一郎

立花 小一郎(たちばな こいちろう、1861年3月20日万延2年2月10日)- 1929年(昭和4年)2月15日[1])は、日本の陸軍軍人政治家男爵陸軍大将、第10代福岡市長、貴族院議員

経歴

万延2年(1861年)、三池藩家老(藩主の分家)立花景福、通称:碩(おおい)の長男として生れる。弟の立花銑三郎は夏目漱石正岡子規の同輩で、学習院大学教授として教育学社会学を論じた。チャールズ・ダーウィンの「種の起源」を日本で初めて翻訳したが、日本への帰途の船中で若くして没した。

1883年(明治16年)12月25日、陸軍士官学校(旧6期)を卒業し、陸軍少尉任官[2]1889年(明治22年)12月、陸軍大学校(5期)を優等で卒業した。陸士教官、参謀本部第1局員を歴任し、日清戦争では第1軍参謀として出征した。1896年(明治29年)から1899年(明治32年)までオーストリアに留学し、その後、清国駐屯軍参謀、参謀本部付(袁世凱軍事顧問)、陸軍省人事局恩賞課長、補任課長などを歴任した。

日露戦争では、第4軍参謀副長として出征した。1905年(明治38年)3月、奉天会戦直前に陸軍大佐に進級し大本営参謀に発令され帰国した。さらにポーツマス講和会議全権随員、アメリカ大使館付、陸軍省副官などを経て、1909年(明治42年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第22旅団長、歩兵第30旅団長、近衛歩兵第1旅団長、朝鮮駐剳軍参謀長、朝鮮駐剳憲兵隊司令官兼朝鮮総督府警務総長を務める。1914年(大正3年)8月、陸軍中将となり、第19師団長、第4師団長、関東軍司令官を歴任。1920年(大正9年)8月、陸軍大将となり、シベリア出兵では、最後の浦塩派遣軍司令官を務めた。その後、軍事参議官を務め1923年(大正12年)3月に予備役に編入。同年10月、男爵を叙爵し華族となる。

その後、1924年(大正13年)8月から翌年8月まで福岡市長に在任。1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[3]公正会に所属してから1929年2月の死去まで務めた[1][4]。墓所は多磨霊園[5]

栄典

位階
爵位
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1889年(明治22年)11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[20]
1895年(明治28年)10月31日 勲六等瑞宝章[21]
1895年(明治28年)10月31日 功五級金鵄勲章[21]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[22]
1901年(明治34年)5月31日 勲五等瑞宝章[23]
1901年(明治34年)12月28日 勲四等旭日小綬章[24]
1902年(明治35年)5月10日 明治三十三年従軍記章[25]
1906年(明治39年)4月1日 功三級金鵄勲章[26]
1906年(明治39年)4月1日 勲三等旭日中綬章[26]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[26]
1915年(大正4年)1月30日 勲二等瑞宝章[27]
1915年(大正4年)11月7日 旭日重光章[28]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[29]
1920年(大正9年)9月29日 勲一等瑞宝章[30]
1920年(大正9年)11月1日 旭日大綬章[31]
1920年(大正9年)11月1日 大正三年乃至九年戦役従軍記章[31]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1898年(明治31年)12月9日 オスマン帝国 美治慈恵第三等勲章英語版[32]
1903年(明治36年)9月21日 プロイセン王国 赤鷲第三等勲章英語版[33]
1903年(明治36年)9月21日 ドイツ帝国 ドイツ軍隊東亜事変記念章ドイツ語版[33]
1903年(明治36年)12月28日 大清帝国 第二等第三双龍宝星中国語版[34]
1906年(明治39年)7月3日 プロイセン王国 赤鷲剣付第二等勲章[35]
1906年(明治39年)11月2日 大清帝国 二等第二双龍宝星[36]
1909年(明治42年)5月21日 ロシア帝国 神聖スタニスラス第二等勲章英語版[37]
1910年(明治43年)2月28日 ロシア帝国 神聖アンナ第二等勲章英語版[38]
1914年(大正3年)7月26日 ロシア帝国 神聖スタニスラス第一等勲章[39]
1914年(大正3年)10月8日 支那共和国 二等文虎勲章中国語版[40]
1916年(大正5年)7月1日 ロシア帝国 神聖アンナ第一等勲章[41]
1921年(大正10年)1月14日 支那共和国 一等大綬嘉禾章中国語版[42]

家系

立花貫長
   ┣━━━┳━━━┳━━┓
  長煕 黒田直巷 直尹 応興
                         ┃
                     (数代略)
                         ┃
                        包高
                         ┣━━┓
                        高景 景福
                               ┣━━━┳━━━┓
                             小一郎 銑三郎  ミイ(宮崎民蔵室)

脚注

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』77頁。
  2. ^ 『官報』第151号、明治16年12月27日。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、37頁。
  5. ^ 立花小一郎”. www6.plala.or.jp. 2024年11月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 陸軍大将秋山好古外二名特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113166400 
  7. ^ 『官報』第204号「賞勲叙任」1884年3月7日。
  8. ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
  9. ^ 『官報』第3248号「叙任及辞令」1894年5月1日。
  10. ^ 『官報』第4603号「敍任及辞令」1898年11月1日。
  11. ^ 『官報』第6085号「叙任及辞令」1903年10月12日。
  12. ^ 『官報』第6531号「叙任及辞令」1905年4月12日。
  13. ^ 『官報』第7899号「叙任及辞令」1909年10月21日。
  14. ^ 『官報』第627号「叙任及辞令」1914年9月2日。
  15. ^ 『官報』第1244号「叙任及辞令」1916年9月21日。
  16. ^ 『官報』第2157号「叙任及辞令」1919年10月11日。
  17. ^ 『官報』第3068号「叙任及辞令」1922年10月21日。
  18. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  19. ^ 『官報』第3347号「授爵・叙任及辞令」1923年10月18日。
  20. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1889年12月29日。
  21. ^ a b 『官報』第3708号「叙任及辞令」1895年11月6日。
  22. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  23. ^ 『官報』第5374号「叙任及辞令」1901年6月4日。
  24. ^ 『官報』第5613号「叙任及辞令」1902年3月25日。
  25. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  26. ^ a b c 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月8日。
  27. ^ 『官報』第748号「叙任及辞令」1915年2月1日。
  28. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  29. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  30. ^ 『官報』第2449号「叙任及辞令」1920年9月30日。
  31. ^ a b 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  32. ^ 『官報』第4637号「叙任及辞令」1898年12月13日。
  33. ^ a b 『官報』第6084号「叙任及辞令」1903年10月10日。
  34. ^ 『官報』第6189号「叙任及辞令」1904年2月22日。
  35. ^ 『官報』第6905号「叙任及辞令」1906年7月6日。
  36. ^ 『官報』第7012号「叙任及辞令」1906年11月12日。
  37. ^ 『官報』第7772号「叙任及辞令」1909年5月25日。
  38. ^ 『官報』第8005号「叙任及辞令」1910年3月3日。
  39. ^ 『官報』第600号「辞令」1914年7月31日。
  40. ^ 『官報』第660号「叙任及辞令」1914年10月12日。
  41. ^ 『官報』第1177号「叙任及辞令」1916年7月4日。
  42. ^ 政府広報第1760号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2020年12月28日閲覧。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 土田宏成「立花小一郎」『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館、2004年。ISBN 4-642-01341-5

外部リンク


公職
先代
久世庸夫
福岡市長
第10代:1924 - 1925
次代
時実秋穂
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
立花(小一郎)家初代
1923年 - 1929年
次代
立花馨



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