宮崎民蔵
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宮崎 民蔵(みやざき たみぞう、慶応元年5月20日(1865年7月21日(新暦)) - 昭和3年(1928年)8月15日)は、明治・大正期の社会運動家。号は巡耕。後に中華民国を建国することとなる孫文を支援した熊本県荒尾市の宮崎家の本家筋当主。
- ^ 荒尾市教育委員会『宮崎兄弟の生家整備工事報告書』荒尾市教育委員会、1993年、9頁。
- ^ 野田真衣『宮崎兄弟と孫文と辛亥革命』荒尾市、2019年、24頁。
- ^ 荒尾市教育委員会『宮崎兄弟の成果整備工事方向書』荒尾市教育委員会、1993年、9頁。
- ^ a b 荒尾市宮崎兄弟資料館(2023.2.11展示解説)
- ^ 荒尾市『世界のなかの荒尾ー宮崎兄弟の軌跡をたどる』荒尾市、2018年、36頁。
- ^ 上村希美雄『夢 翔ける 宮崎兄弟の世界へ』荒尾市宮崎兄弟資料館、1995年、25頁。
- ^ 上田穣一『大逆事件と「熊本評論」』三一書房、1986年、206頁。
- ^ 上村希美雄『夢翔ける 宮崎兄弟の世界へ』荒尾市宮崎兄弟資料館、1995年、33頁。
- ^ 日本共産党が中国共産党と対立して日中友好協会が分裂したのちは、日中友好協会(正統)の理事長。
- ^ 「人事興信録 第17版 下」国立国会図書館デジタルコレクション
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