突然の辞任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 10:08 UTC 版)
「第1次安倍内閣 (改造)」の記事における「突然の辞任」の解説
9月10日召集の第168回国会で安倍は「職責を果たし全力を尽くす」と所信表明演説を行なった。しかし9月12日の正午過ぎにテロ対策特別措置法の延長が厳しくなったこと、野党との党首会談で問題を解決できそうもないことなどを受け国会対策委員長の大島理森に首相辞任の意向を伝え、午後2時からの記者会見で正式に首相辞任の意向を表明した。当日は、午後1時から所信表明演説に対する民主党の鳩山由紀夫、長妻昭から代表質問が行われる予定だったが、それを目前にしての辞任表明であったため、政権交代を目指す民主党議員たちからも大いに驚きを持って受け止められた。 内閣官房長官の与謝野馨が首相辞任会見直後に安倍が述べなかった重大な辞任理由として健康問題があることを直ちに補足したものの、海外メディアを含めて「敵前逃亡」「政権放りだし」「偽りの所信表明」などとさんざんな酷評をこうむる事態となった。 安倍自身が会見で語った辞任理由について、盟友とされる前官房長官の塩崎恭久は「口実に決まっている」と解説した。これに加えて安倍の突然の辞任会見の数日前から、安倍が主導権を幹事長(麻生太郎)―官房長官(与謝野)ラインに奪われているらしいこと、およびチーム安倍が内閣改造で空中分解したために安倍が孤立しているらしいことなどが新聞はじめ各方面から示唆されていた。 安倍は9月13日から体調不良(病院が公表した病名は機能性胃腸障害)を理由に都内にある慶應義塾大学病院に入院していた。辞任表明会見後の最初の記者会見を9月24日17時から病院内で行い、国民に対する謝罪を表明し、病気辞任であることを正直に述べるべきであったことを率直に認めた。またチーム安倍の空中分解を辞任理由とする説については、会見後の質疑応答で完全否定している。この11日間の入院期間中に安倍は一度も病院外へ出ることはなかったが、政府は安倍とは連絡が取れる状態であることを理由に首相臨時代理を置かなかった。首相としての執務は病室の隣の部屋で行なっていたという。 福田康夫内閣の組閣人事が固まった2007年(平成19年)9月25日、内閣は総辞職し、安倍は自内閣の総まとめとなる談話を発表した。福田新内閣の認証式が翌26日になったため、安倍改造内閣の任期は自動的に2007年(平成19年)9月26日までの31日間となった。このため安倍の首相としての通算任期は366日となった。これは日本国憲法下の首相では7番目の任期の短さであった。また内閣改造後の16日後の退陣表明と29日後の内閣総辞職は第2次田中角榮内閣第2次改造内閣(改造後15日後に退陣表明、28日後に総辞職)に次ぐ短い退陣記録となった。 なお参院選の結果や今回の改造内閣人事を反映させるため、9月18日に出版が予定されていた国会議員要覧(国政情報センター)、9月19日に出版が予定されていた国会便覧(日本政経新聞社・2月と8月の年2期刊、および総選挙後の臨時版がある)は安倍の退陣表明を受け販売の急遽中止を決定した。より新しい情報を反映させるためで、最新版には新たに発足する内閣の閣僚名簿が掲載されることとなる。これらの書籍にとっては1989年(平成元年)6月にわずか69日間で退陣した宇野内閣以来の「幻の内閣」となる。 この辞任を受けて、朝日新聞社が9月13日に緊急世論調査を行なったところ、70%が「こういう形の辞任は無責任」と、50%が「早期に衆議院解散するべき」という結果が出た。
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