突然の降板と臆測について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:29 UTC 版)
「山岡久乃」の記事における「突然の降板と臆測について」の解説
1998年10月1日、晩年の代表作とも言える1990年から続いてきたドラマ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズの主人公・岡倉節子役を降板。番組の顔とも言える山岡の突然の降板劇は、山岡演じる節子は「海外旅行先で急死した」という設定で、劇中一度も顔や声が登場しないままの降板となった世間で数々の臆測を呼んだ。TBSは山岡の降板にあたり、異例の「山岡降板説明記者会見」をマスコミに対して開いている。その際には、6月1日付けの山岡本人の診断書についても言及があり、その結果を受けて正式に出演は困難と判断したとマスコミ各社へ説明した。第3シリーズ終了後、次シリーズへの出演拒否の意思を貫く山岡に対し、橋田や石井は何度も出演要請をするが、山岡の意思は変わらなかった。これに対し橋田はTBSに「山岡さんなしではドラマが成り立たないので、もうこのドラマはやめましょう」と打ち切りの方針を伝えたが、人気番組となっているためTBSは納得せず、五人に試練を与えるために節子を死亡した設定にして脚本も作り変え、製作することとなった。TBSは先述の会見で「ああいう(急死の)形にしたことは山岡さんにも了解してもらっています」と説明した。これに伴い、小島五月役の泉ピン子が主役に昇格した。最後のOPクレジットにおいては、第3シリーズ総集編が組まれた上にスタート時点で生存設定であった第4シリーズ第1話が、OPで山岡の名前が載った最後の回となった。ちなみに、山岡は第3シリーズTV放送終了後、1997年国際演劇月参加作品東宝現代劇5・6月特別公演「渡る世間は鬼ばかり3」の舞台版まで岡倉節子役を演じており、岡倉節子役を最後に演じたのはTVではなくこの舞台公演であった。1997年6月29日の国際演劇月参加作品東宝現代劇での公演が岡倉節子を演じた最後の公演である。 理由のはっきりしない山岡の突然の降板は、民放各局のワイドショーや週刊誌などを中心に、世間を騒がすことになった(実際の降板理由は下記の通りで山岡の既定路線だったのだが、これに触れたメディアはない)。(山岡の)認知症発症説や山岡と橋田の確執説、山岡の橋田への報復説なども噂されることとなった。また、当時メディア出演が多くあった橋田が「山岡さんは私のことがよっぽどお嫌いなんでしょうね」などと山岡への不用意な発言を度々行ったことも騒動に火に油を注いだ。第4シリーズ放送開始後、山岡は胆管癌であることを公表。癌公表前の第3シリーズ出演中の時点で次シリーズの出演意思はなかった。
※この「突然の降板と臆測について」の解説は、「山岡久乃」の解説の一部です。
「突然の降板と臆測について」を含む「山岡久乃」の記事については、「山岡久乃」の概要を参照ください。
- 突然の降板と臆測についてのページへのリンク