破滅への予兆とは? わかりやすく解説

破滅への予兆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 09:15 UTC 版)

ラヴレンチー・ベリヤ」の記事における「破滅への予兆」の解説

1946年ベリヤNKVD議長職から離れたが、スターリンのもとで副首相として国家治安全般的な監督をし続けた。だがベリヤ後任となるNKVDセルゲイ・クルグロフ議長ベリヤの“子分”ではなかった。さらに同年の夏にはベリヤ忠実なメルクーロフがアバクーモフにMGB長官取って代わられた。クルグロフとアバクーモフは、着任早々治安警察機構指導部ベリヤ一派以外の人物置き換えたその結果ベリヤ掌握している外国諜報部門を除いてベリヤ派として生き残ったのはMVD長官代理であるマームロフのみとなった。アバクーモフは重要な業務ベリヤ相談せず、しばしばアンドレイ・ジダーノフ協力して時にはスターリン直々指示のもとに実行するようになった。ある歴史家[誰?]は、最初間接的に、しかし時と共に直接的になっていったこれら一連の動きベリヤ攻撃するためであった述べている[要出典]。ベリヤ攻撃最初具体的な動き1946年10月の「ユダヤ反ファシスト委員事件」で始まった。 この事件最終的にソロモン・ミホエルス殺害と、他の多く委員メンバー逮捕にまで発展した。この事件ベリヤ権勢大きな悪影響及ぼした。彼がこの委員1942年創設者であったというだけでなく、彼の取り巻き連中が、この委員実質的なユダヤ人メンバー含まれていたためである。ジダーノフ1948年突然死去すると、ベリヤマレンコフ共同してジダーノフ関係者粛清開始した。この事件は、「レニングラード事件」として知られ2000人以上の人間が処刑された。その中にはジダーノフ代理務めたアレクセイ・クズネツォフ(Aleksei Kuznetsov)、経済問題リーダーニコライ・ヴォズネセンスキーレニングラード筆頭、ピョートル・ポポフ、ロシア共和国首相ミハイル・ロジーノフらがいる。 ニキータ・フルシチョフベリヤマレンコフへの対抗馬として台頭するのは、ジダーノフ死後である。ジダーノフ死後も反ユダヤキャンペーンは収まらなかった。第二次大戦後の数年間、ベリヤ東欧諸国におけるソヴィエト様式秘密警察創設指揮し、そのリーダー直接任命したが、これらのリーダー多くユダヤ人占めていた。1948年初め、アバクモーフはこれらのユダヤ人リーダーたちの調査開始し、ついに1951年11月プラハにおいてルドルフ・スラーンスキー、ベルドジッヒ・ゲミンデルとその一派逮捕された。彼らの嫌疑は、総じてシオニズムコスモポリタニズムであったが、より実質的な嫌疑は、彼らがチェコスロバキア経由してイスラエル武器供与した、というものであったベリヤ立場からすると、この武器供与嫌疑が最も危険であったイスラエルへの莫大な援助は、彼の直接指示よるものだったからである。最終的にチェコスロバキア14人のリーダー11人のユダヤ人が、プラハにおいて裁判かけられ有罪判決受けて処刑された。これがプラハ裁判である(同様の調査が、ポーランドソヴィエト衛星共和国進行していた)。 その頃、アバクーモフの後任セミョーン・イグナチェフ就任したイグナチェフは、反ユダヤキャンペーンをいっそう強化した1953年1月13日プラウダ報道により、ソヴィエトにおける最大規模反ユダヤ事件幕を開けた。これは、後に“医師団陰謀事件”として知られる国内著名なユダヤ人医師たちの一部が「ソヴィエト首脳毒殺した」という理由告訴逮捕された。これと平行してヒステリックな反ユダヤプロパガンダキャンペーンが、ソヴィエトマスメディア通じて溢れた最初に37人の医師(内17人がユダヤ人)が逮捕され逮捕者数百人にまで伸びたソヴィエト国内ユダヤ人多くは、自分仕事解雇されるか、逮捕されるか、強制収容所連行されるか、処刑された。このとき、スターリン命令により、MGBソビエト国内の全ユダヤ人ロシア極東強制移住させるか、あるいは虐殺する準備始めた主張されている。 さらに、1950年代初めに勃発した「ミングレル事件」(Mingrelian Affair)により、スターリンベリヤ対す不信感はますます増大する。この事件で、ベリヤと同じミングレル人党員標的にされ、グルジアSSRにより粛清された。この事件影響で、ベリヤ出身地であるグルジア共和国での権力低下した。そのうえ、ベリヤ性的無分別さの蓄積によって、ベリヤ前任者であるヤゴーダエジョフのように、スターリンベリヤ積極的に処分しようとする様子見られた。 1953年3月1日スターリンは、フルシチョフマレンコフブルガーニンベリヤとの徹夜での夕食夜に倒れその4日後の3月5日死去した。なお、スターリン死に関しては、決定的な証拠存在しないものの、1953年当時からベリヤ幹部による謀殺説が根強く存在している。1993年出版されヴャチェスラフ・モロトフ政治回顧録によると、ベリヤモロトフ対しスターリンに毒を盛ったことを自慢したとされるロシア作家エドワード・ラジンスキー著書スターリン』にもこのことは記述されており、公表される兆候もあったという。モロトフ回顧録は、新たに公開され膨大なロシア機密文書スターリンの元ボディガード出版した回想録その他のデータ基づいたのであるスターリン意識不明の状態で発見されてから数時間医師助け拒否されたことや、治療にワルファリンが使用されたことが示唆されたことも報告されている。2006年ロシア週刊誌にて、ロシア公文書館スターリン暗殺説裏付ける有力な証拠発見されたと報じられた。その文書記録によると、内容は、倒れたスターリン対す治療毒物接種時に施される物で、当初言われていた症状での治療法では絶対にあり得ない治療法施していたことなどが記されていた。

※この「破滅への予兆」の解説は、「ラヴレンチー・ベリヤ」の解説の一部です。
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