産業革命の広がりと世界資本主義システム
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「近代における世界の一体化」の記事における「産業革命の広がりと世界資本主義システム」の解説
国名開始時期特色鉄道開通年と開通区間イギリス1760年代 1.木綿工業の紡績部門・綿布部門で交互に展開2.19世紀前半「世界の工場」としての地位を確立 1825年、ストックトン・オン・ティーズ - ダーリントン フランス1830年代 1.フランス革命で創出された小農民中心(資本蓄積の遅れ)2.七月王政期より本格化。発展はゆるやか3.絹織物工業(中心リヨン)から開始 1832年、リヨン - サン=テティエンヌ ベルギー1830年代 1.1830年のベルギー独立革命が契機2.独立後の経済危機を克服すべく、国家主導で銀行・産業を育成 ドイツ1840-50年代 1.領邦制のなかでのユンカー・ブルジョワの台頭2.ドイツ関税同盟(1834年)による市場の統一3.重工業から開始、西南ドイツやプロイセンで展開 1835年、ニュルンベルク - フュルト アメリカ1830年代 1.米英戦争(1812年 -1814年)後のイギリスからの経済的自立2.西部開拓による国内市場の拡大3.南北戦争後に本格化。19世紀末には英・独を追い越す 1830年、ボルティモア - エリコット・シティ(Ellicott City, Maryland) ロシア1890年代 1.農奴解放令(1861年)による労働者の創出2.フランス資本の導入と国家の保護により1890年代に本格化 1838年、ペテルブルク - ツァールスコエ・セロー 日本1890年代 1.1870年代の政府の殖産興業政策が契機2.綿織物工業から開始3.日清戦争前後、軽工業中心に発達(下関条約の賠償金を投入) 1872年、新橋 - 横浜 産業革命は19世紀のうちに西欧から北欧・北米、そして世紀末にはロシア、日本などの地域へ広がっていった。しかし、産業社会は世界均一に広まったわけではなかった。イギリスは、すでに18世紀までに形成されていた世界的な分業システムをもとに産業革命を推進したので、世界経済はイギリスを中心に3層の構造をなすことになった。つまり、自由貿易をとなえるイギリスが「世界の工場」、そして「世界の銀行」として世界経済をリードし、これに対して、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国、そして日本などの後発国は、イギリスとは対照的に保護貿易による自国産業の保護育成と富国強兵につとめた。保護貿易主義を理論化したのが、フリードリヒ・リストの歴史学派経済学であり、アメリカの南北戦争は、保護貿易主義の北部と自由貿易主義の南部の内戦でもあった。また東欧とアジア、ラテンアメリカ、アフリカは、国民経済としてまとまって対抗することができず、欧米に対する従属経済にあまんじた。 1868年に明治維新をむかえた日本もふくめて、20世紀の世界史で重要な役割を果たし、かつて「列強」とよばれた諸国、あるいは現代、G7(先進7か国)あるいはG8(先進8か国)と称される米・英・日・独・仏・伊・加・露の諸国は、すべて19世紀なかばから1870年代にかけて、近代国家としての姿をととのえ、世界資本主義のシステムのなかで互いにきそいつつ、従属地域にも手をのばしていった。 なお、「上からの資本主義」ないし保護貿易政策、あるいは富国強兵政策を推し進めていくうえで、関税権のないことはしばしば大きな障害となった。日本において条約改正が政府、民権派問わず国民的悲願とされたのは、そのためだった。
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