生い立ち – 外務大臣就任までとは? わかりやすく解説

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生い立ち – 外務大臣就任まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:07 UTC 版)

ヨアヒム・フォン・リッベントロップ」の記事における「生い立ち外務大臣就任まで」の解説

ラインラントのヴェーゼル(de:Wesel)にリヒャルト・ウルリヒ・フリードリヒ・ヨアヒム・リッベントロップ(Richard Ulrich Friedrich Joachim Ribbentrop)の子として生まれた出生時の名はウルリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨアヒム・リッベントロップ。父はプロイセン歩兵連隊指揮する陸軍中佐だった。母ゾフィー旧姓ヘルトヴィヒ)はザクセン地主の娘だった。当時ドイツでは異例のことだが、彼はドイツスイス私立学校10代半ばまで教育受けている。 フランス語と英語に堪能であり、1910年から1914年にかけてドイツワイン貿易商としてカナダ働いた。ここの事業成功収めモントリオールオタワの上社会一員となったイギリス総督府のあったデュー・ホールでの祝典にも必ず招かれる常連一人となった。 しかし1914年第一次世界大戦勃発しドイツイギリス敵国となるとリッベントロップイギリス身柄押さえられることを避けるため、急遽ニューヨーク経由ドイツ帰国したこの頃肺結核患っていて動けなかった弟のローターカナダへ残りそのままイギリス拘束された(1918年死去している)。 帰国したリッベントロップはただちにドイツ陸軍入って東部戦線従軍し中尉まで昇進して一級鉄十字章授与されている。1918年4月東部戦線負傷したのち、駐コンスタンチノープルドイツ大使館勤務を任ぜられている。このコンスタンチノープル時代ハンス・フォン・ゼークト将軍フランツ・フォン・パーペン知遇得ている。ドイツ敗戦後にはゼークト将軍副官としてパリ講和会議参加している。ヴェルサイユ条約に身近で接しただけに屈辱大きかったことを後に回想している。 1920年7月裕福なシャンパン醸造家の娘アンナ・エリーザベト・ヘンケル( Anna Elisabeth Henkell )と結婚し商売のため欧州各地転々とする。アンナ・エリーザベトは高慢な女性で、夫を完全に支配下に置き、しばしば「マクベス夫人存在」と評されている。夫婦は5人の子もうけたリッベントロップ伯母(その夫は貴族称号持っていた)に自分養子とするよう頼み込んだ結果としてリッベントロップ貴族称号フォン」を名前に加えることとなったヴァイマル共和政時代には、リッベントロップ政治関心持ったり、反ユダヤ偏見明らかにたような形跡はない。 リッベントロップ1930年初めアドルフ・ヒトラー会った貴族である上に外交官経験もあり、他国の高い地位人々との伝手多く持つことから、ヒトラーリッベントロップ好印象持った1932年5月リッベントロップナチ党入党し1933年ヒトラー首相に指名されるまでの一連のフォン・パーペンとヒトラーとの秘密会談をベルリン自宅設定するなどの支援活動行ったヒトラーはこれらの貢献高く買っていたが、リッベントロップナチ党にとっては新参者だったため、古参幹部達からは妬まれることになった。 特に、貴族ではないものの貴族的趣味愛好しヨーゼフ・ゲッベルスは、フォン称号を持つリッベントロップコンプレックス抱いており、激し嫌がらせをした。ゲッベルス嫌悪感その日記にも現れており、「フォン・リッベントロップは名前を買い、金銭目当て結婚し、そしてまんまと官職ありついた」という記述がある。こうした敵対視への対抗からか、リッベントロップ狂信的あるいは戯画的とまで言ってよいほどの強固なナチズム信奉者反ユダヤ主義者になっていった。 リッベントロップヒトラーお気に入り外交政策アドヴァイザーになっていった。ドイツ外務省エリート職業外交官たちは、(少なくともナチス政権下ドイツ初期の時代にあっては国外情勢についてヒトラー真実伝えていたが、リッベントロップ都合の良いことだけを伝えていた。彼は1933年親衛隊名誉大佐称号与えられた。親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーとは一時友好関係保ったが、最終的に敵対関係となった

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