生いたちと教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 01:47 UTC 版)
「タッド・リンカーン」の記事における「生いたちと教育」の解説
トーマス・リンカーン3世は1853年4月4日にエイブラハム・リンカーンとメアリー・トッド・リンカーンの四男として、アメリカ合衆国のイリノイ州スプリングフィールドにて出生した。彼にはロバート(1843–1926)、エディ(1846–1850)、ウィリー(1850–1862)という名の3人の兄がいた。父方の祖父にあたるトーマス・リンカーンと叔父のトーマス・リンカーン・ジュニアにちなんで名付けられた彼はすぐに、その小さな身体と大きな頭、幼少期にオタマジャクシのように落ち着きがないことから父親から「タッド」というニックネームを与えられた。タッドのファーストネームはたまに誤って「Thaddeus」(タデウス)と記載されている。 タッドは口唇口蓋裂を持って生まれ、生涯を通して発話障害に苦しんだ。構音障害があり、早口でごにょごにょと話したので、彼と親しい者しか理解できないことが多かった。たとえば、父のボディーガードのウィリアム・H・クルック(英語版)を「トゥック」と呼び、父を「パパ・ディア」ではなくて「パパ・デイ」と呼んだ。口蓋裂の影響で歯並びが悪く、そしゃくが困難だったので、特別な食事が用意された。 タッドと歳の近い兄のウィリーはスプリングフィールドに在住していた期間に、「悪名高いいたずらっ子」とみなされていた。エイブラハムと法律事務所を共同で経営するウィリアム・ハーンドンは棚から本を引っ張り出し、事務所内をひっかきまわしている子どもたちにエイブラハムが気付いていないと書き残している。
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