生い立ち〜デビューまで(1958–1977)
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「プリンス (ミュージシャン)」の記事における「生い立ち〜デビューまで(1958–1977)」の解説
プリンス・ロジャーズ・ネルソンは、1958年6月7日午後6時17分、ミネソタ州ミネアポリスのマウント・シナイ病院で生まれた。ジャズミュージシャンを両親に持ち、音楽とともに育った。その少年期はさまざまな逸話に包まれている(その幾つかはプリンス本人によって話題作りのために広められた)。 その最たるものが「プリンスの父親は黒人で母親が白人である」ということである。これは自伝映画『プリンス/パープル・レイン』でも使われた設定であるが実際は両親ともに黒人であり、本人によると「父方にはイタリア系の血が、母方にはネイティブ・アメリカンの血が入っている」とのこと。 ジャズ・ピアニストだった父親のジョン・L・ネルソン(1916〜2001)は1960年代後半までプリンス・ロジャーという芸名でプリンス・ロジャー・トリオというバンドを組んでいたことから息子にその名を付けた。母親のマティ(1933〜2002)は17歳年下のジャズ歌手だった。プリンスが生まれたとき、ジョンには前妻との間に4人の子があり、プリンス誕生と同時期にも前妻との間に男児デュアンが生れ、その後マティとの間に女児ティカ(プリンスの実妹)をもうけた。幼少期のプリンスにはてんかんの持病があり、しばしば発作に見舞われた。 両親はプリンスが子供の頃の1966年に離婚し、父親が家を出て行った。母親は再婚し、継父は10歳のプリンスをジェームス・ブラウンのコンサートに連れて行ってステージに上げたという。後のプリンスの音楽への影響を作ったことはあったが、プリンスは継父との折り合いが上手くいかず、家出を繰り返すことになる。実父ジョン・L・ネルソンはプリンスに大きな影響を与えており、楽曲のいくつかにはその名前がクレジットされている。 ジュニアハイスクール時代に、友人や従兄弟らと共にバンドを結成したプリンスは長じるにつれ頭角を現す。この時期に参加していた「94EAST」というバンドの音源は後年に発掘されることになる。シンセサイザーを主体としたファンクミュージック、いわゆるミネアポリス・サウンドと呼ばれるムーブメントの中心的存在として注目を受けるようになる。 メジャーレーベルは、こぞってこの才能に溢れた少年との契約を望んだ。そして、1977年に数社の入札の結果、ワーナー・ブラザースと契約。19歳の少年としては異例の高額な契約金とセルフ・プロデュースの権利を同時に獲得する。
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