現存しない施設・史跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:41 UTC 版)
前田御茶屋 長府藩3代藩主の毛利綱元が元禄(1688~1704)年間に関門海峡を見渡すことのできる前田に建てた茶屋。これは「前田御茶屋」または「一茶亭」と呼ばれる。 豊後塚 詳細は「豊後塚」を参照 長府にあったといわれる首塚。火の山の東にあったが、火の山砲台建設のために取り壊されてしまった。毛利元就が永禄年間に大友氏と戦ったときに打ち取った首を埋めた首塚である。 下関市立水族館 下関市立水族館は開館当時は東洋一とも言われた水族館で、昭和31年(1956年)11月29日に開館した。昭和33年(1958年)3月13日には鯨館が設置された。昭和63年(1988年)には日本で初めてマゼランペンギンの繁殖に成功し、繁殖賞を獲得した。しかし、平成11年台風第18号により甚大な被害を受け、9月24日には一時的な閉鎖に至った。翌年4月15日には再度開館したものの、同年12月3日には「さよなら水族館記念イベント」と同時に閉業した。これと同時に新たな水族館をあるかぽーと(唐戸付近の埋立地)に建設する計画が進行し、平成13年(2001年)3月27日には竣工に至り、下関市立しものせき水族館(海響館)として開業した。 外浦遊園地・長府楽園地・長府遊園地 外浦遊園地は大正14年(1925年)6月1日に山陽電気軌道株式会社により外浦に建てられた遊園地である。この遊園地には花壇や猿を展示した小さい動物園があり長府楽園地が開園するまで運営されていた。 昭和4年(1929年)4月5日に長府野球場ができた後、その隣に長府楽園地が昭和7年(1932年)4月1日に開園した。鳥居前通り付近の埋立地(現在の神戸製鋼長府工場の場所)にサンデン交通の前身である山陽電気軌道株式会社が設立したもので遊園地のほか、映画館、展望台、テニスコートなどを兼ね備えた複合娯楽施設であった。昭和13年(1938年)8月20日に長府野球場と長府楽園地はともに廃業した。この土地は昭和13年(1938年)11月には神戸製鋼所に土地が売却され、昭和14年(1939年)7月1日には跡地が神戸製鋼長府工場となった。 その後、しばらく山陽電気軌道は遊園地の事業に取り組んでいなかったが昭和32年(1957年)3月21日に黒門に長府遊園地を開園した。昭和34年(1958年)には隣接して山電パークが開設したが翌年には閉業した。跡地は運転教室特殊学校になり、昭和37年(1962年)12月に山陽自動車学校となった。 前田発電所 詳細は「前田発電所」を参照 前田にあった発電所で大正10年(1921年)7月15日に東邦電力(当時九州電灯鉄道)のもと建てられた。昭和8年(1933年)5月に東邦電力から県に移った。昭和14年(1939年)4月1日には電力管理法により県から日本発送電に移った。昭和26年(1951年)には日本発送電の解体により中国電力に所有が移った。その後、昭和35年(1960年)に廃止された。 豊浦信用金庫 豊浦信用金庫はかつてあった信用金庫。明治44年(1911年)7月3日に長府信用組合として発足し、昭和25年(1950年)4月1日には豊浦信用組合に改名。また、昭和26年(1951年)10月には豊浦信用金庫に改名した。平成16年(2004年)7月には西中国信用金庫に併合された。
※この「現存しない施設・史跡」の解説は、「長府」の解説の一部です。
「現存しない施設・史跡」を含む「長府」の記事については、「長府」の概要を参照ください。
- 現存しない施設・史跡のページへのリンク